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2006年12月の11件の記事

2006年12月25日 (月)

奈良市内散策 猿沢池~率川~中将姫生誕地

先日に続き、奈良市内散策です。
猿沢池から率川を率川神社まで辿ったあと、奈良町の寺社を巡りました。

率川は、大和川支流の佐保川の支流菩提川の春日野~奈良町あたりの古称または通称のようです。
菩提川は、「奈良市春日野町の御蓋山(春日山)南西麓の春日大社の摂社・紀伊神社付近に発し奈良公園南縁の春日野町と高畑町の境を西流、同じく摂社の若宮神社付近に発する流れや鹿苑付近からの流れを合わせ、バス道をくぐって鷺池・荒池に流れ込み、猿沢池の南を回り込んで「ならまち」を流れ、この後はほとんど暗渠となってJR関西本線をくぐり、奈良市大森町で南転、奈良市恋の窪一丁目で佐保川左岸に注ぐ」(AGUAより引用)川です。
AGUA > 大和川 > 佐保川 > 菩提川

猿沢池の南東端の暗渠から率川が流れ出ています。
猿沢池の周りを采女神社近くまで回りこみ、暗渠に入っていきます。
暗渠の上は、さるさわ遊歩道となっています。

暗渠から流れ出て
Pict5180w800猿沢池の傍らを流れ
Pict5181w800暗渠に流れ込む
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暗渠の上は「さるさわ遊歩道」
Pict5185w800近くに、采女神社
本殿が後ろを向いている
Pict5177w800采女への哀悼歌
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猿沢池では、毎年、中秋の名月の日に、「采女祭」が、行われます。

さるさわ遊歩道を辿っていくと、「もちいどの商店街」を交差して、率川神社の側まで辿れます。
率川神社近くには、率川橋の跡があり、地蔵が祀ってありました。

率川暗渠上の道  
Pict5189w800率川橋跡
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川は、この後、伝香寺の傍らを通ってJR奈良駅方面に流れていくようです。

参照
とんでもとらべる > 奈良の寺社・花暦・陵墓・年中行事など > 率川神社(いさがわじんじゃ) 5~7

伝香寺は、4時前でしたが、門は閉鎖され、境内では幼稚園児が遊んでいました。
率川のトレースはここで止め、奈良町に戻ることにしました。
この辺りには寺社がたくさんあります。
住職または管理人の住居となっているらしく、門が閉鎖された寺社がいくつかありました。

中将姫関連の寺社を巡りました。

安養寺
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徳融寺
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誕生寺
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高林寺
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2006年12月23日 (土)

アグリグループ 納会

アグリロードうたひめの納会です。
畑に放置したままになっていたマルチのビニールシートを取り除き、干していた黒大豆の莢出しをしました。
黒大豆は、まだ十分に乾燥していないものもあって、実を取り出すのが手間取りました。
並行して、餅つきです。
味噌用の大豆の莢出しは来春まわし。
トン汁も作って、搗きたての餅とビールで納会。

乾燥しきっていないので
一莢ずつ実出し
Pict5174w800並行して、餅つき
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昨年は12月24日

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2006年12月21日 (木)

花空間けいはんな カブトムシ幼虫

久しぶりの花空間けいはんなです。
カブトムシの飼育小屋作りを手伝いました。

花空間けいはんなの雑木林に、シイタケを栽培した後のほだ木が積み重ねてあります。
ほだ木は、ほどよく朽ちています。
今夏、カブトムシを、捕まえてきたり、近くにえさ場を作ったりして、産卵を誘導したそうです。
カブトムシの幼虫を傷つけないように、注意深くほだ木の山を掘り崩していきます。

朽ち果てたほだ木を掘り崩すと
丸々太ったカブトムシの幼虫
Pict5157w800この子はオスだ
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オスには、腹部2節目に"v"がある


また、伐採屑の山にも、毎年、カブトムシが産卵し、たくさんの幼虫が育っています。
雑木林の一角に、カブトムシ飼育小屋を作ることになりました。
来夏には、子供たちの楽しみが増えることになります。

モグラなどに襲われないように、金網とシートで飼育箱を作ります。
カブトムシの幼虫を、朽ち果てたほだ木や腐葉土ごと、飼育箱に移し、上部を枯葉で覆いました。

作業中
Pict5158w800飼育箱完成
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飼育箱を、ネットハウスで覆います。
農業用のビニールハウスの組み立て方を教えてもらい、組立始めました。
幼虫の移動は、幼虫が巣作りをする前でなければなりませんが、ネットハウスは、来春カブトムシが飛び立つまでに完成させればいいことです。
今日の作業は、時間切れで、ネットハウス組立途中で中断。

端は金具で結合する
Pict5160w800今日の作業はここまで
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参照
カブトムシvsクワガタムシのページ : カブトムシ飼育マニュアル(完全版)

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2006年12月20日 (水)

奈良市内 散策

奈良市街地にはよく出かけますが、周辺の遺跡や寺社は、春日大社や東大寺以外は、ほとんど素通りでした。
これまで近くを通りながら、見過ごしていた遺跡や寺社を回ってみることにしました。

昼から出かけ、近鉄奈良駅から北に向かう。
奈良奉行所跡地は、奈良女子大学構内、正門あたりか。
奈良女子大の前を通って、佐保川まで行くと、橋を渡ったところが聖武天皇陵の入口。

佐保川 法蓮橋
Pict5114w800聖武天皇・光明皇后陵
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正面が聖武天皇陵。
参道の途中で右に曲がると、光明皇后陵。
光明皇后陵は、横からしか見ることができない。

聖武天皇佐保山南陵
Pict5118w800光明皇后陵への分岐
Pict5119w800聖武天皇皇后佐保山東陵
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天皇陵を出て、佐保川を少し溯ると、多聞城跡。
若草中学校になっており、入口を入ったところに碑がある。

若草橋より聖武天皇・光明皇后陵方向を望む
Pict5127w800若草橋より多聞城跡方向を望む
Pict5126w800多聞城跡の碑
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北山一八間戸はまたの機会とし、佐保川を下り、称名寺に向かう。

途中の寺社
玉鐵稲荷神社
Pict5125w800佐保川天満宮 鉄柵の合間から撮影
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普光寺
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称名寺    →称名寺住職のページ
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高天交差点に戻り、漢国(かんごう)神社、開化天皇陵を探す。
高天交差点のすぐ南、「やすらぎの道」沿いのビルの合間に漢国神社の鳥居があった。

漢国神社 鳥居
Pict5136w800漢国神社 本殿
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漢国神社内の林(りん)神社  饅頭の神様 
Pict5139w800鶴が2羽
Pict5140w800饅頭塚
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開化天皇陵の入口は、三条通り。
これまで存在を気にせず前を通っていた。

開化天皇春日率川坂上陵
Pict5143w8009代開化天皇は記紀の創作
とすれば、誰の墓だろう
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率川(いさがわ)神社は「やすらぎの道」沿いにすぐに見つかった。
工事中。

率川神社
Pict5147w800仮本殿
Pict5149w800率川神社由来
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率川神社は、大神神社の境外摂社。
神武天皇の皇后 媛蹈鞴五十鈴媛命 とその両親の3座を祭る。
6月17日三枝祭(ユリ祭)で有名。
傍らを率川が流れていた。今は暗渠。

率川神社のすこし南に伝香寺。
境内は幼稚園となっており、中に入れない。
4時を過ぎていたためか。

伝香寺
Pict5151w800門は閉鎖
Pict5152w800「散り椿」で有名。
花びらを1枚ずつ散らす。
サザンカの一種か?

元興寺方向に向かったが、薄暗くなってきたので、奈良町めぐりは次の機会とし、帰ることにした。

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2006年12月16日 (土)

奈良文化論 城下と鉄道

奈良大学に奈良文化論を聴講に行きました。
今回は、文学部地理学科の三木理史助教授の「城下と鉄道~鉄道忌避は本当か?~」です。
岡崎市と郡山のそれぞれの周辺地図と広域地図などを基に、鉄道忌避伝説の説明を受けました。

***

城下町の多くは、鉄道敷設に際し、煙で火災が起こるとか、風紀が乱れるとかの理由で、鉄道を忌避したといわれている。
JR郡山駅は、市街地から離れた場所にある。
郡山は鉄道を忌避したのか?

鉄道を忌避したといわれている町として、愛知県岡崎市、三重県伊賀市、滋賀県近江八幡市を取り上げ、いずれも、城下町が忌避したのでなく、経済合理性から、路線、駅が敷設されたことを説明。
岡崎:広域地図で見ると、鉄道は岡崎よりとなっているが、岡崎中心部に鉄道を通すとなると、鉄橋が余分に必要となる。鉄橋はコスト高。
伊賀市上野:上野に関西線を通そうとすると、鉄橋が2つ必要となり、かつ、急勾配が生じる。
近江八幡:旧城下町周辺は湿地帯で鉄道敷設困難。
次に、鉄道忌避伝説のない大阪について、大阪駅も、当時の市街地の北端につくられたと指摘。
奈良駅も、同様に、当時の市街地の端につくられている。

1880~90年代の鉄道敷設は、主要都市間を結ぶもので、蒸気機関車が長い車列を引くものであったので、なるべく直線に、勾配少なく、トンネルや鉄橋も少なく、市街地を避けて、敷設された。
1900年代以降は、地域間をつなぐ小さな電車となり、中小市街を結び、市街地も通すようになる。
1921年開通の大阪電気鉄道(現 近鉄)は、郡山城の側を通っている。

旧城下町が鉄道を忌避したのでないにもかかわらず各地に鉄道忌避伝説が生じたのは、旧城下町のプライドのなせる業である(駅が遠いことを、旧城下町側が主体的に鉄道を忌避したと、合理化)。

***

鉄道忌避を主張するものは、主張するのに都合の良い地域地図を基に主張する。
広域地図や高低差のわかる地図で検証する必要がある。
川の流れが重要。

JR関西本線は、奈良を出て、郡山駅手前で曲がっている。まっすぐ進めば、当時の郡山市街及び郡山城を突っ切ることとなるが、それを避けた。
なぜ、奈良から王寺まで直線で通さなかったのだろう。
今も昔も、用地買収が大変だったのだろうな。

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2006年12月14日 (木)

飛鳥里山クラブ 和凧を伝える

飛鳥里山クラブ講座15回目ものづくり講座「竹素材を知る ー和凧を伝えるー」です。
日本の凧の会の岡竹三雄さんの指導で、六角凧を作りました。
岡竹さん74歳は、凧つくりのマニア。
帰宅後、ネットで見ると、岡竹さん製作の凧がたくさん展示されていました。
日本の凧の会のホームページ
→日本の凧の会 : リンク情報 : 凧大図鑑 : 近畿地方編

凧作りに先立って、凧の揚がる原理が飛行機と同じであること、ライト兄弟より前に、この原理に気付いて飛行機の開発に取り組んだ日本人がいたことなどの話がありました。

二宮忠八は、凧作りを通じて、飛行の原理に気付き、飛行機の開発に取り組んだ。
資金不足のうちに、ライト兄弟に有人飛行実験の先を越され、開発を中断したが、二宮忠八は、その後、飛行機事故で死去した多くの人を弔うために飛行神社を設立した。
八幡浜市のホームページ : 二宮忠八について

六角凧は、6角形の和紙の裏側に、縦1本、横2本の竹ヒゴを貼り付けて作ります。
午前中、美濃紙に絵を描き、昼から、竹ヒゴを取り付け、糸目糸、はり糸を結び付け、凧完成です。
雨のため、凧揚げができず、凧が揚がるかどうかは不明。

凧作りの要点は、左右対称に作るということにつきるようです。
竹ヒゴには機械加工の市販品を使用しましたが、機械加工品は必ずしも繊維に沿って加工されておらず、曲がっているものもあるとのこと。真直ぐで、弾性力のあるヒゴを、節が左右対称に来るように使用します。
岡竹さんは、左右バランスをとるため、竹ヒゴは自分で加工されるそうです。
竹ヒゴ向きの竹(3~5年生のマダケ)を見つけると、地主に自作の凧を持参し、伐採させてもらう。1年ほど乾燥させてから竹を割って竹ヒゴに加工する。
凧作りに凝りだすと、材料集めから、時間がかかるんですね。

凧揚げのコツは、風を読むこと。
当日の風によって、凧のそりや凧の傾きを調整する。
凧のそりや凧の傾きの微調整の仕方を教わりました。
説明は簡単だが、風は刻々と変化するし、地表と上空では風が異なる。

風の谷のナウシカは、風を読んで、メーヴェを操る。
メーヴェの動力源は判らないが、飛び立つときのみエンジンをふかし、上空では殆んどエンジンを使用していないようだった。
たぶん凧の原理を最大限に活かした乗り物なのだろう。
→wikipedia : メーヴェ

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2006年12月13日 (水)

雨の西の京

シニア5名で、西大寺駅から西ノ京駅まで散策しました。
大安寺から奈良まで散策する計画でしたが、雨のため、西ノ京駅から電車で奈良駅に向かい、国立博物館で仏像などを鑑賞しました。

雨の予報。朝のテレビの天気図では、神戸辺りから九州にかけて雨雲がある。
西大寺駅集合時には、雨が降り始めていた。
雨の中を散策出発。
西大寺境内を通り、奈良市制定の「歴史の道」に沿って、菅原神社に向かう。
神社の近くに、菅原道真が産湯を浸かったとかいわれる池があった。

道真産湯の池?
Pict5081w800


菅原道真生誕の地と伝えられ、この菅原神社は全国の天満宮の中でも特に由緒ある神社。
ツワブキが咲いていた。

菅原神社
Pict5084w800境内
Pict5085w800ツワブキ
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菅原神社を出ると、道路の向かい側に、喜光寺入口の標示が見える。
車の出入口から境内に入ると、住職さんが、そちらの入口で拝観料300円を払ってください、と出てきた。
入ってきたところとは別の寂れた門の側には、無人の拝観料金箱が置かれていた。
拝観料を払って、境内に入りなおし、住職さんより、寺の由来や本尊の説明を受ける。
721年、行基菩薩創建。
菅原寺と呼ばれていたが、聖武天皇が当寺を参詣した際(748年)、ご本尊より不思議な光明が放たれたので、喜光寺と改名されたとか。
行基が、東大寺造営に当たり、喜光寺の本堂を参考にしたとの伝承から、この寺は、大仏殿の「試みの堂」といわれている。大仏殿は、ここの本堂の10倍。
ハスの寺として有名で、6月下旬から8月上旬にかけては、紅白さまざまなハスの花が楽しめる。

喜光寺本堂
Pict5093w800境内には多数のハス鉢
Pict5094w800喜光寺縁起
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境内に、インドボダイジュが植えられていた。
南国の樹木なのに、奈良の冬の寒さは大丈夫なのだろうか。
飛鳥寺の菩提樹

クワ科 インドボダイジュ
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阪奈道路を横断し、南下すると垂仁天皇陵。
近鉄電車側は、車窓から良く眺めているので、反対側を回ることにした。
途中で道がなくなったので、畦道をつたって、平松皇大神社と田圃の間中の培塚を巡る。

垂仁天皇陵(北側) 水鳥が飛んでいる
Pict5105w800垂仁天皇陵(南側)
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垂仁天皇陵陪塚の皇大神社
Pict5108w800皇大神社
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「歴史の道」は、西ノ京の手前で唐招提寺側に曲がり近鉄線を横切るが、右折し、名称不明の古びた寺院や墓の横、龍蔵院を辿り、養天満神社見学後、一徹長屋のうどん店で昼食。
帰宅後、詳しい地図で調べてみると、古びた寺院は、唐招提寺奥の院西方院と念仏寺だった。

唐招提寺奥の院西方院の土塀
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雨が降り止みそうにないので、散策を中止することとし、電車で近鉄奈良駅に向かい、国立博物館を4時近くまでじっくり見学。
奈良東向き商店街の「天まであがれ」で打上会。

本日の散策距離(西大寺駅~西ノ京駅)は地図上の計測で5km弱だった。

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2006年12月10日 (日)

北 山の辺の道 散策

造園訓練同窓6名で、北 山の辺の道を、円照寺から天理まで歩きました。
9月9日の続きです。
昨年2月の散策コースの逆ですが、昨年は和邇下神社経由、今回は、近鉄てくてくまっぷにほぼ沿った白川ダム経由です。
9月9日 北 山の辺の道 奈良→円照寺 散策
2005年2月 北 山の辺の道 天理→円照寺 散策

近鉄奈良駅前から、円照寺までバス。
円照寺は拝観できないので、門より庭園を覗き、正暦寺への散策路を進む。
道沿いに大師堂がある。

円照寺
Pict5045w800円照寺大師堂
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大師堂を観て、道路に出たところで、正暦寺散策コースを離れ、山村町に向かう。
山村町バス停近くで、弘仁寺への散策コースに合流。

途中、車道分岐で、左正暦寺、右弘仁寺との大きな看板。
右の広い道路を歩き始めたが、分岐に「時計台」、ついで、「火の見櫓」があるとの てくてくまっぷ の説明と異なる。
広い自動車道は、新たにできたバイパスだと気付き、分岐に戻り、左に進む。
歩いていくと、てくてくまっぷ記載どおり、「時計台」、「火の見櫓」がある。

柳茶屋バス停の分岐の時計台
Pict5049w800弘仁寺への分岐の火の見櫓
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山道を登ると、すぐに、弘仁寺の裏門。
無人の料金箱に拝観料200円を入れて、境内に入る。
センリョウ、マンリョウの赤い実が映える。

弘仁寺
Pict5055w800センリョウ科 センリョウ
Pict5052w800ヤブコウジ科
マンリョウ
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境内で休憩していると、岡山からのバスツアー客が来て、住職が、本堂内で、寺の由来や仏像を説明。
バスツアー客に混じって、説明を聴き、本尊を拝む。
弘仁寺(虚空蔵寺)は、弘仁5年(814年)に建立された。空海が小野篁(小野妹子の子孫)の誓願を受けて、大同2年(807年)に建立したともいわれており、今春、建立1200年記念法要が行われたとのこと。
1572年、松永弾正の兵火を受けて堂宇の大半が焼失、江戸時代に再建された。
本尊を守る四天王像は、昨年、建立当時のものと判り、近く重要文化財指定されるとか。

バスツアー客と別れ、表参道の石段を降りる。
駐車場は裏側にあり、表には何もない。
東海自然歩道の道標がなければ、入口を見過ごすだろう。

250m西のトイレに寄り、近くの古物店で白川ダム湖への近道の有無を尋ねる。
直線距離はわずかだが、直線路はないとのこと。
てくてくまっぷのコースに戻り、途中、通行止めの車道を通り、白川ダム湖に向かう。
車道は完成しているのに、なぜ通行止めになっているのだろうか。

白川ダム湖では何名か釣をしており、屋台があった。
寒かったので燗酒を買って、昼食。

白川ダム湖
Pict5060w800Pict5061w800Pict5062w800

東海自然歩道の道標に沿って石上神宮に向かう。
布留川に架かる高橋から木蔭越しに滝が臨める。

布留の高橋
Pict5071w800木蔭越しに滝
Pict5069w800橋脇の木の実は何?
Pict5068w800

石上神宮には、多数のニワトリが鳴いていた。

石上神宮の雄鶏たち
Pict5075w800鶏の像がある
Pict5079w800頭上の枝に雌鶏
Pict5078w800

反省会会場を探しながら、天理駅に向かう。
見つからないので、西大寺に戻ろうかと決めかけたところ、駅裏に赤提灯を発見。
天理駅裏で反省会。

白川ダム湖では、流入する川が見当たらず、流出口が2箇所あるようなので、どの川をどのように堰きとめているのか疑問が生じ、帰宅後、Webで調べてみた。
高瀬川(→佐保川→大和川)とその支流の楢川の水量を制御しているとのこと。
奈良県大和川水系ダム建設事務所のホームページ : 白川ダム
AGUAのサイト : 大和川 : 高瀬川

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2006年12月 9日 (土)

奈良文化論 箱本制度

奈良大学に奈良文化論を聴講に行きました。

先週は、「郡山城~織豊期の城~」でしたが、聴講できませんでしたので、前回の資料ももらいました。
前回資料のまとめとして、「郡山城は、典型的な織豊系城郭であるばかりでなく、まぼろしの豊臣期大坂城を直接規範とした可能性が高く、きわめて重要な城郭といえる。すみやかな史跡指定と保護・調査が必要。」と記してありました。

今回は、奈良県立図書情報館職員の大宮守友さんの「城下町郡山のまちづくり~箱本制度~」です。
春岳院に残る古文書などを基に、城下町郡山のまちづくりの講義がなされました。

1585年、豊臣秀長が郡山城に入城します。
秀長は、城下に、同業者ごとの地域を定め、営業上の独占権を与えます。
特権を与えられた魚塩町、材木町、雑穀町など13町は、こうした特権を書き記した文書を御朱印箱と呼ばれる箱に納め、1ヶ月交代で持ち回りました。当番の町は、この御朱印箱を町内の会所に置いて、表に長さ2尺の紺地木綿に白地で「箱本」と染め抜いた小旗を立てる習わしだったそうです。
箱本となった町の年寄が、郡山の町全体の責任を負います。
箱本の仕事は、治安、消火、伝馬、藩からの伝達事項の通知、課税の徴収、訴訟の処理、宗旨改、南都祭礼の奉仕、変死体の処置など広範囲に及んでいたそうです。
このように、郡山城下町は、各町の持ち回りにより、ある程度の自治を委ねられ、まちづくりが行われました。

参照ページ
大和郡山市HP : 歴史事典 : 箱本制度
ゆきおのコーナー : 箱本制度
 

 

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2006年12月 7日 (木)

飛鳥里山クラブ 忘年親睦会

飛鳥里山クラブの忘年親睦会です。
かしはら万葉ホール5階のレセプションホールで行われました。
かしはら万葉ホールは、畝傍御陵前駅から北へ徒歩15分。
1階に橿原市立図書館、地下に橿原市立こども科学館があります。
地下に降りたところに、地球の自転を実証する「フーコの振り子」が動いていました。
振り子の振動面の動きを示すドミノが、外向きに倒れているところと内向きに倒れているところがあるのはなぜだろう、と思いながら、忘年親睦会の始まるまで、しばらく、振り子を眺めていました。
かしはら万葉ホールのホームページ

飛鳥里山クラブ全体での忘年親睦会は、昨年からの催しだそうで、今年は、10期生が準備・設営しました。
正面には、古米のはざかけ、竹の家などが飾られ、各テーブルには、サンシュユとナンキンハゼの実を付けた青竹の花瓶に飛鳥の草花が活けられていました。
この時季でも、いろいろな花が咲いているのですね。

忘年親睦会場 正面の飾り
Pict5025w800いす、テーブルにリース
Pict5039w800活け花
Pict5041w800

テーブルの活け花1
Pict5030w800活け花2
Pict5032w800活け花3
Pict5033w800
活け花4
Pict5034w800活け花5
Pict5035w800活け花6
Pict5036w800
活け花7
Pict5037w800活け花8
Pict5038w800

参加者約80名。
途中1時間ほどのゲームを含め、約3時間、楽しく過ごせました。
外へ出ると、雨が降っていました。

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年金の諸手続き

62歳の誕生日を迎えて、年金に係る書類がいろいろ送られてきました。
昨年は、失業手当支給で9月まで年金が停止されており、誕生月は、年金支給再開手続き中だったため、諸届けの提出は不要でした。

まず、社会保険庁から、現況届け提出不要の通知。
住基ネットで本人確認できたので、今後は、原則として現況届け提出は不要となるとのこと。
ついで、同じく社会保険庁から、老齢厚生年金加給年金額加算開始事由該当届なるものを提出せよとの通知。氏名等を書いて、投函。
企業年金基金からも、扶養親族等申告書の提出を求めてきた。
これは、税金の扶養控除に関するもの。どうせ確定申告するのだから、ほっといてもいいのだが、説明に従い記入し、投函。
これで終わりかなと思っていたら、再び基金から、年金受給権者現況届提出の案内。
基金は、住基ネットから情報を得られないので、引き続き、届けが必要。
届けを出さないと、支給が一時ストップするとのことなので、早速投函。

一度で済ませることができないものかな。

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