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2006年12月 9日 (土)

奈良文化論 箱本制度

奈良大学に奈良文化論を聴講に行きました。

先週は、「郡山城~織豊期の城~」でしたが、聴講できませんでしたので、前回の資料ももらいました。
前回資料のまとめとして、「郡山城は、典型的な織豊系城郭であるばかりでなく、まぼろしの豊臣期大坂城を直接規範とした可能性が高く、きわめて重要な城郭といえる。すみやかな史跡指定と保護・調査が必要。」と記してありました。

今回は、奈良県立図書情報館職員の大宮守友さんの「城下町郡山のまちづくり~箱本制度~」です。
春岳院に残る古文書などを基に、城下町郡山のまちづくりの講義がなされました。

1585年、豊臣秀長が郡山城に入城します。
秀長は、城下に、同業者ごとの地域を定め、営業上の独占権を与えます。
特権を与えられた魚塩町、材木町、雑穀町など13町は、こうした特権を書き記した文書を御朱印箱と呼ばれる箱に納め、1ヶ月交代で持ち回りました。当番の町は、この御朱印箱を町内の会所に置いて、表に長さ2尺の紺地木綿に白地で「箱本」と染め抜いた小旗を立てる習わしだったそうです。
箱本となった町の年寄が、郡山の町全体の責任を負います。
箱本の仕事は、治安、消火、伝馬、藩からの伝達事項の通知、課税の徴収、訴訟の処理、宗旨改、南都祭礼の奉仕、変死体の処置など広範囲に及んでいたそうです。
このように、郡山城下町は、各町の持ち回りにより、ある程度の自治を委ねられ、まちづくりが行われました。

参照ページ
大和郡山市HP : 歴史事典 : 箱本制度
ゆきおのコーナー : 箱本制度
 

 

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