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2007年1月17日 (水)

奈良検定3 遺跡や古墳

・奈良県の遺跡や古墳
奈良検定公式テキストブックには、古墳の記述が多い。到底覚えきれない。
小さな古墳が記載されている反面、平城天皇陵、文武天皇陵に治定されている古墳など、より重要だと思われるのに載っていない古墳がある。
古墳のリストとしては不十分だし、どういう基準で選択されたのだろうと疑問を感じる。

問25 出土した土器片の絵画に基づいて古代の楼閣が復元されている弥生時代の遺跡(唐古・鍵遺跡)は、国道24号線沿いにある。昨秋、免許更新で自動車免許試験場に行ったときに24号線を通ったが、気がつかなかった。
問26 次の古墳の中で、最も古いとされるものはどれか。
ア 纏向石塚古墳、イ マルコ山古墳、ウ 屋敷山古墳、エ 高松塚古墳
奈良盆地東南部の古墳は、前期と後期、北部は前期~中期、西南部は中期の古墳が多い。
纏向古墳群は前期古墳(3世紀前半~4世紀はじめ)。
先日、纏向石塚古墳は訪ねなかったが、巻向駅起点で山の辺の道を散策した
屋敷山古墳は、葛城市新庄にある5世紀ごろの前方後円墳。
マルコ山古墳、高松塚古墳など内装に凝った小型古墳は、天皇家支配がほぼ固まった7世紀末以降。大化の改新(645年)直後に大化薄葬令が出され、古墳は小型化し、有力豪族は内装に凝るようになる。
問27 巣山古墳を含む古墳群(馬見古墳群)
このあたりは、まだ散策したことがない。
問28 磐之媛命陵といわれる陵墓の所在(奈良市)
濠にカワセミが棲みついており、よくカメラマンを見かけるが、私はここではカワセミを見る機会にまだ恵まれていない。
探鳥会 2005/10
佐紀路散策 2006/2
問29 黒塚古墳から出土した三角縁神獣鏡の数(33面)。
出土されたとき、かなり話題になったし、33は覚えやすい数字。
問30 江戸時代に崇峻陵ともされた大型古墳(天王山古墳)
冷遇された大王だが、陵も転々とされていたのか。
昨年、崇峻陵と治定されている古墳を見てきた。
外鎌山~聖林寺散策 2006/1
問31 欽明陵近くの吉備姫王墓に置かれた4体の石像(猿石)
江戸時代に、欽明陵とされている古墳の南側の水田から掘り出された石像。
飛鳥里山クラブ講義 2006/5 写真なし
問32 石舞台古墳は誰の墓の可能性が高いといわれているか(蘇我馬子)。
微妙な表現の設問。ようするに誰の墓かは解明されていない。
飛鳥里山クラブ 史跡探訪 2006/6
問33 明日香村にある中尾山古墳の平面の形(八角形)
八角は、高貴な形とされ、皇族の古墳にのみ使用されるといわれている。
公式テキストブックでは、「文武天皇の檜隈安古陵の可能性がいわれる」と記されており、文武陵にも異説があるのを始めて知った。
明治政府の御陵裁定には、かなりいい加減なところがあったようだ。
中尾山は、国営飛鳥歴史公園内にあり、何回か登ったことがあるが、改めて中尾山古墳を観にいってきた
問34 次の記述のうち、誤っているものはどれか。
ア 藤ノ木古墳には2体分の人骨があった。
イ マルコ山古墳の石槨内には漆喰が塗ってあった。
ウ 岩屋山古墳には精巧な切石積石室がある。
エ 高松塚古墳では鮮やかな朱雀の壁画が見つかった。
高松塚古墳は南側から盗掘されており、朱雀はなくなっていた。
奈良文化財研究所飛鳥資料館ホームページ http://www.asukanet.gr.jp/ > ASUKA HISTORICAL MUSEUM > 高松塚古墳
岩屋山古墳は、飛鳥駅の西側にある方墳。飛鳥には頻繁に行くが、飛鳥駅の西側の散策はまだ。飛鳥に行くたびに、飛鳥駅西側にも寄ろうと思っているのだが。
問35 忍性が難病患者救済のために設けたことに始まる施設(北山十八間戸)
たぶん近くは通っている。先日、観にいこうかと思ったが、後回しにしたままになっているところ
問36~40は、平城京跡についての穴埋め問題。
(元明天皇)が(和銅3年(710))に藤原京から遷した平城京は、聖武天皇による(恭仁京)等への一時的な遷都はあったが、桓武天皇が長岡京へ遷都する(延暦3年(784))まで日本の都であった。平城京の周りを取り巻く築地大垣の南正面には(朱雀門)がそびえていた。

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