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2007年1月17日 (水)

奈良検定2 歴史

・奈良県の歴史
問12は聖徳太子についての誤り指摘(父は舒明天皇ではない)。
聖徳太子(厩戸王)の父は用明天皇。叔母推古天皇の摂政として、十七条の憲法、冠位十二階を定めたとされるが、聖徳太子が十七条の憲法を定めたなどは後世の創作との説もある。
問13 二上山に葬られたとされる人物(大津皇子)。
大伯皇女(大来皇女)の大津皇子をしのぶ歌で有名。
飛鳥里山クラブ 飛鳥の風景を知る 2006/9
問14~17 元正天皇と聖武天皇の血縁関係(伯母と甥)、孝謙天皇の重祚名(称徳天皇)、聖武天皇后の父(藤原不比等)、729年謀反の疑いをかけられ自殺(長屋王)の奈良時代の設問については、永井路子「美貌の女帝」、杉本苑子「穢土荘厳」や黒岩 重吾「弓削道鏡」など歴史小説を読んだのが役立った。
問18は設問として疑問。
問18 平安時代に即位した天皇の中で、奈良県内に陵墓が治定されているのは誰か。
ア 桓武天皇、イ 平城天皇、ウ 嵯峨天皇、エ 宇多天皇
平城天皇陵とされているものが平城京跡の北側にあるが、この古墳(市庭古墳)は、平城京の建設に際し、一部破壊されているのだから、平城京後の天皇の陵墓にはなりえない。
宮内庁が市庭古墳をいまだに平城天皇陵と治定しているのが問題。
奈良検定公式テキストブックには、平城天皇陵は陵墓・古墳としては触れられておらず、意図的に除いたと思っていたのだが。
(42ページ「平城天皇と薬子の変」の項で、「治定に疑問も持たれている」として触れられているとの指摘を受けました。)
佐紀路散策 2006/2
問19後醍醐天皇が京都を脱出して吉野山に入る前に一時留まったとされる史跡(賀名生皇居跡)は、私は訪ねたことがないが、賀名生梅林を散策した仲間から、梅林の近くに皇居跡があるとの話を聞き、記憶に留まっていた。
なら歩楽歩楽会散策記録 18/3賀名生梅林
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kabuto372/180315anou.html

問20織田氏松山藩の初代藩主は、信長の次男信雄と覚えていたが、問22江戸中期の柳沢氏郡山藩の初代藩主は、保申なのか吉里なのか迷った。吉里が初代で、保申(やすのぶ)は最後の藩主。
柳生藩については出題されなかったが、柳生藩初代藩主は誰かと出題されれば、迷っただろう。宗厳は柳生新陰流の創始者、宗矩(むねのり)が初代、三厳(みつよし)が2代目だそうだ。
問21は、「大和の金は**に七分」といわれるほど繁盛した町(今井)
問23 天誅組が挙兵し襲った代官所(五條)は、一昨年散策してきた
問24は明治以降の奈良県の成立過程についての誤り指摘(大和県と呼ばれた時期は無い)。
明治維新で、幕府直轄領が、奈良県となり、明治3年五條県が新設、明治4年の廃藩置県で13あった藩がそれぞれ県となる。同年それらが統合され奈良県となるが、明治9年堺県に統合、更に明治14年堺県は大阪府に統合される。明治20年に、大阪府から分離、奈良県が再設置される。

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