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2007年2月16日 (金)

忍坂街道 散策

飛鳥里山クラブ歴史サークルの例会「粟原・忍坂を訪ねて」に参加し、ムネサカ古墳、粟原寺跡、天王山古墳、石位寺、舒明天皇陵、鏡女王墓、大伴皇女墓、欽明天皇磯城嶋金刺宮跡伝承地、仏教伝来之地碑を訪ねました。

近鉄桜井駅に集合。30数名。
世話役のコース説明。粟原(おおはら)までバスで行き、桜井駅に戻る。
準備体操を済ませ、バスに乗り込む。
普段はほとんど乗客のいないバスが、満員。
粟原で降り、車道を少し戻ったところに、ムネサカ古墳の表示がある。
急な踏み分け道を登る。杣道に出て、杉林の中の杣道を進む。いつのまにか檜林になっている。
間引き伐採がなされており、林床は明るい。
夏場だと、ササが生茂り、マムシも出てきそうなところなので、分け入ることは困難だろう。
丘を登りきったところにムネサカ1号古墳。
二段築城の円墳で、岩屋山古墳の石室と各部の寸法がほぼ等しく、また、石材の配置も一致しているとのこと。
7世紀前半の飛鳥政権を支えた貴族の墳墓と考えられている。
古墳内は、岩屋山古墳より広いような印象を受けた。
1号古墳の少し先に2号古墳があるが、こちらは、入口が土砂にふさがれており、中には入れない。

国道沿いの説明板
Pict5855w800ムネサカ古墳
Pict5849w800古墳入口
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古墳内部 石室の奥上部
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ムネサカ2号墳
Pict5850w800ムネサカ古墳戻り道
Pict5854w800国道に戻る
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粟原バス停に戻り、宇陀への旧道を粟原寺跡に向かう。
石標に「男坂」とある。忍坂(おっさか)は、男坂とか押坂(阪)と表記されていた。
粟原集落南端の天満神社の上に粟原寺跡の碑があり、周辺から集められた礎石などが並べられている。
粟原寺は、中臣朝臣大嶋が草壁皇子(689年死亡)のために発願、大嶋死亡後、比売朝臣額田が大嶋の意思を受け継いで造営を続け、715年に三重塔が落成したと伝えられている。
比売朝臣額田と万葉の歌人額田姫王は同一人物とする説がある。
その説によると、額田姫王は、天智天皇崩御後、しばらくは鏡里に隠棲するも、天武天皇即位後、飛鳥に呼び戻され、藤原京で政権を支えた中臣大嶋と再婚、粟原の地で余生を過ごしたとされる。
額田姫王が630年生まれだとすると、大嶋との再婚は40歳代後半、粟原寺完成時は85歳となる。

粟原寺跡
Pict5865w800万葉歌碑説明
Pict5862w800万葉歌碑
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[読み下し]
弓削皇子が持統天皇の行幸に従った時に額田王に贈った歌
 古に 恋ふる鳥かも 弓絃葉の み井の上より 鳴き渡り行く
     弓削皇子 ( ゆげのみこ )     巻2-111
額田王の答歌
 古に 恋ふらむ鳥は 霍公鳥 けだしや鳴きし 吾が思ふるごと
     額田王 ( ぬかたのおおきみ )  巻2-112

三重塔 礎石
Pict5869w800集められた金堂礎石など
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天満神社 拝殿  後ろに春日造の神殿があるが、
Pict5872w800鳥居の前にも狛犬
Pict5874w800神体は前方の山?
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粟原川に沿って下り、石位寺の手前で倉橋溜池への道を登ると、赤坂天王山古墳群の前に出る。
国史跡の1号墳を中心に、6基の横穴式石室墳により形成される古墳群。
1号墳の石室は、入口は大人1人がかろうじて入れる大きさ。
後ずさりで中に這いこむと、内部はけっこう広いし、高さもある。
玄室には、長辺2.4m×短辺1.7mの家型石棺が1基ある。
古墳の周りを1周してみたが、ほぼ円形のように感じられ、方墳の角はわからなかった。
この古墳は、江戸時代には、祟峻天皇の倉梯岡陵に比定されていた。
このあたりは、昨年1月に散策したところだが、そのときは、この古墳は素通りだった。

天王山古墳説明板
Pict5877w800古墳群
Pict5886w8001号墳
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1号墳入口
Pict5885w800石室内部
Pict5883w8001号墳の背後に
小さな古墳
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石位寺で昼食。
石位寺は、三尊石仏で有名だが、この石仏は、3~5月及び9~11月、桜井市商工観光課に10日以上前に予約しておかないと観ることができない。
今回の散策に際して、桜井市と掛け合ったそうだが、開扉時期でないとの原則で、開扉してもらえることが出来なかった。
金谷の石仏のように、覗けるようにしておけばいいのに、折角の観光資源を有効活用していないし、地元もサービス精神が欠如しているものだ。

石位寺
Pict5890w800石位寺説明文
Pict5888w800石仏拝観案内
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外鎌山の南斜面の舒明天皇陵、鏡女王墓、大伴皇女墓を巡る。
鏡女王は、天智天皇の妃となり、後に、中臣鎌足の正室となった万葉歌人。
舒明天皇陵域内に墓があることから舒明天皇の皇女か皇孫とする説と、鏡王の娘で額田姫王の姉とする説がある。
大伴皇女は、舒明天皇の皇女。

舒明天皇陵
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Pict5893w800
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万葉歌碑 欽明天皇陵から鏡女王墓への道沿いの川中
Pict5898w800鏡女王墓
Pict5902w800大伴皇女墓
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 秋山の樹(こ)の下隠(がく)り逝(ゆ)く水の
  われこそ益(ま)さめ御思(みおもひ)よりは
     鏡女王  巻2-92(揮毫者:犬養孝)

忍坂街道に戻り、外鎌山の麓を周って、朝倉台の朝倉古墳公園の脇を通り、朝倉駅で近鉄線を横断、欽明天皇磯城嶋金刺宮跡伝承地に向かう。
途中、道沿いに、2本の木に渡した勧請縄を鳥居代わりとする神社。
近くの住人に聞いても、名前は知らないという。
帰宅後、地図及びWebで調べてみると、忍坂坐生根神社のようだ。

忍坂坐生根神社
Pict5908w800
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欽明天皇磯城嶋金刺宮跡伝承地
Pict5917w800万葉歌碑 磯城島の
Pict5918w800万葉歌碑 泊瀬川
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磯城島(しきしま)の日本(やまと)の国は言霊(ことだま)の
 たすくる国ぞま幸(さき)くありこそ
    柿本人麻呂歌集  巻13-3254

泊瀬川(はつせがは)速(はや)み早瀬を掬(むす)び上げて
 飽かずや妹(いも)と問ひし君はも
    作者:未詳      巻11-2706

宮跡のすこし下流対岸に
仏教伝来之地碑
Pict5923w800Pict5927w800万葉歌碑
Pict5925w800
夕さらず河蝦(かはづ)鳴くなる三輪川の
 清き瀬の音(と)を聞かくし良しも
     作者:未詳  巻10-2222

仏教伝来之地碑前で解散。


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