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2007年9月21日 (金)

近江京跡を訪ねて

飛鳥里山クラブのフォローアップ研修会「近江京跡を訪ねて」に参加しました。
バスで一路西大津の近江神宮へ。
大津観光ボランティアガイドの案内で、錦織(にしこうり)の近江大津宮跡、南滋賀町廃寺跡を見学、近江神社の休憩所で昼食後、大友皇子ゆかりの地を廻り、大津市歴史博物館で館長から近江京の説明を受けました。

645年の乙巳の変で蘇我入鹿を暗殺して蘇我本宗家を滅ぼした中大兄皇子は、667年、近江宮に遷都し天智天皇に即位したが、671年12月天智天皇崩御後、大友皇子と大海人皇子の間で皇位継承をめぐる壬申の乱が起こり、近江陣営の敗戦で近江京は廃都となった。
近江京の所在地と構造は、長い間不明であったが、昭和49年(1974年)に、民家の建替え時の発掘調査で、初めて近江京内裏跡とみられる遺構が錦織で発見された。
中大兄皇子の近江遷都は、当時の国際情勢から、防御に適した近江に遷都したと言われているが、防御に適した場所は他にもいくらでもあったと思われるので、防御立地とみるよりは、自分の子息の大友皇子を後継とするため、地形的に多少ハンディがあっても、信頼をしている氏族である大友氏の本拠地のある当地にとりあえず移ってきたとの説もある。
歴史は、勝者によって書き換えられるので、わからないことが多い。

史跡 近江大津宮錦織遺跡
内裏南門~回廊跡(推定)
Rimg1895w800説明板
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内裏正殿跡(推定)
Rimg1900w800説明板
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錦織遺跡の北方
南滋賀町廃寺跡 飛鳥の川原寺式伽藍配置です
Rimg1909w800
Rimg1910w800傍らに
ヒガンバナ
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近江神社
祭神 天智天皇
皇紀2600年を記念して、1940年に当地に創建
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近江神社境内に、水時計、日時計、火時計がありました。
 
漏刻(水時計)
Rimg1921w800説明板
Rimg1922w800660年に飛鳥に設置(水落遺跡)
近江大津京遷都(667年)で大津京内裏内に設置
わが国最初の水時計の実用は、飛鳥か、近江か

日時計1
Rimg1923w800日時計2
Rimg1924w800秋分直前でもあり、傾きのない日時計も正確に時間を告げていました

火時計
Rimg1925w800説明板
Rimg1926w800燃え進む線香で糸が焼けきれ、糸に吊るされた錘が落ち、時を告げる

弘文天皇陵
Rimg1930s800
Rimg1932w800明治維新後、大友皇子は「弘文天皇」の名を追贈され、明治10年、「亀丘」と呼ばれる円墳が「弘文天皇陵」に選定された

茶臼山古墳
滋賀県下第2の規模を持つ前方後円墳
大友皇子の墓とする伝承がある
Rimg1935w800説明
Rimg1938w800後円墳頂上
Rimg1940w800

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