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2007年11月10日 (土)

ならやまの史跡

近くの公民館祭りの記念講演で、郷土史家中島弘さんの講演「ならやまの史跡について」を聴きました。

残されている地名などをもとに、「ならやま」の説明がありました。

ならやまは、ならの北に連なる丘陵。
漢字表記では、椎山、楢山、奈良山、平城山、那羅山、寧楽山、平山、乃楽山、常山など。
主峰といえる山は見当たらないが、佐保山、那富山、奈保山、黒髪山、那羅山などの地名がある。
ならやま丘陵の谷間(現在JR線が走る)により、東側が佐保、西側が佐紀に分かれるが、佐保、佐紀は、古代は、狭穂、狭城と表記していた。
佐紀の西南には押隈(押熊)。ならの都の隅。
ならやまの北側が、山背。
都が平安京に移ってからは、山背は山城と表記されるようになった。

ならやま丘陵の谷間を走る近鉄京都線を横断する橋に、超昇寺橋、常福寺橋がある。
超昇寺は、平城天皇の第3皇子である真如法親王が創立した寺で、このあたり一帯は超昇寺の地所であった。
歌姫は超昇寺村の枝村だった。
超昇寺がどこにあったかは不詳であるが、橋の名前として残された。
常福寺は、水上池西の葛木神社にあった。


次いで、万葉歌をもとに、ならやまの原風景を描きます。

「秋されば 今も見る如 妻恋に 鹿鳴山ぞ高野(たかの)の原のうえ」

近鉄高の原駅の名称はこの歌に由来し、駅前に万葉歌碑があるが、高野がどこかには諸説があるらしい。
野は、山のふもとを示す。原は、野をさらに下ったところ。

「平山(ならやま)の 峰のもみじ葉 取れば散る しぐれの雨し 間なく降るらし」

万葉時代のならやまは、紅葉の雑木林で、鹿の鳴き声が聞こえるところだったようだ。


ならやま丘陵の遺跡については、時間切れで、最後にちょっと触れられただけでした。
レジメでは
・国境にある古墳 イシノカラト古墳 大山守命那羅山墓 押熊王の墓
・佐紀盾列古墳群
・古道 ならやま超え
・多くの瓦窯跡 押熊 中山 歌姫 歌姫西 山城音如谷 上人ケ平

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