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2007年12月18日 (火)

甘樫丘北周辺地区を訪ねて

飛鳥里山クラブ歴史サークルで、甘樫丘北周辺地区を散策しました。

明日香村埋蔵文化財展示室前駐車場に集合。
飛鳥坐神社傍らの狂心の渠(たぶれごころのみぞ)~大伴夫人墓~藤原鎌足生誕地~竹田遺跡~八釣マキト古墳~弘計(をけ)皇子神社~山田寺跡~奥山久米寺~大官大寺跡~湯笹福井大明神~日向寺(にっこうじ)~天岩戸神社~奈良文化財研究所展示資料室~畝尾都多本神社(泣澤女神社)~雷丘を巡り、明日香村埋蔵文化財展示室に戻りました。

八釣では、早やロウバイが咲いていました。
ソシンボウバイ
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飛鳥坐神社の傍らに飛鳥東垣内遺跡があります。
7世紀中ごろの幅約10m深さ約1.3mの大溝の跡です。
飛鳥池東方遺跡や飛鳥宮下遺跡、奥山久米寺の西方でも大溝の跡が見つかっており、「日本書紀」にいう「狂心渠」(斉明天皇が石上山の石を運ぶために掘った運河)の痕跡ではないかとみられています。

飛鳥東垣内遺跡
Rimg3075w800説明板
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飛鳥坐神社に沿って東に向かうと小原の里、藤原鎌足生誕地です。
藤原鎌足の生母大伴夫人(ぶにん)の墓といわれる円墳や鎌足が産湯を浸かったといわれている井戸があります。

小原の里
Rimg3079w800大伴夫人墓碑
Rimg3078w800円墳
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大原神社裏の竹やぶの中に
Rimg3082w800鎌足が産湯を浸かったと言われる井戸
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小原~八釣の県道脇に石仏がありました
Rimg3084w800菩薩?


飛鳥坐神社の周りを大きく回って、八釣集落の西方、ちょうど飛鳥坐神社の北側あたり、竹田遺跡の発掘調査中です。
今後の発掘調査待ちですが、天武天皇の皇子である新田部皇子の邸宅跡ではないかと推測されています。

竹田遺跡
Rimg3088w800発掘調査中
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八釣川に沿って東進し、八釣集落を越えたあたり、八釣マキト遺跡があります。
6世紀中ごろから7世紀前半の大小7基の古墳が見つかっています。
うち2基が解体移築され、古墳公園として公開されています。

八釣マキト古墳公園
Rimg3102w8001号墳
6世紀中 直径18mの円墳
Rimg3097w8004号墳
77cm×55cm石室
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八釣集落のはずれに近飛鳥八釣宮跡とも伝承される弘計皇子神社があります。
弘計(をけ)皇子は、21代雄略天皇により父親を殺され、兄弟で播磨に隠れ住んでいたところ、後継者のいなかった22代清寧天皇に迎えられ、兄の億計(おけ)皇太子に皇位を譲られ八釣で即位、23代顕宗天皇となる。
この間の歴史というか物語というか聞いてもすぐに忘れてしまう。

弘計皇子神社 本殿
Rimg3106w800扁額
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山田寺跡に向かいます。
細い里道を道なりに歩くと、前方に広い原っぱが現れます。
山田寺跡です。
山田寺は、日本書紀によると、蘇我倉山田石川麻呂が641年に発願、643年に金堂が完成。
649年、蘇我臣日向の告げ口により、石川麻呂は謀反の疑いをきせられ、造営中の山田寺で非業の最期を遂げる。その後、石川麻呂の冤罪は晴れ、山田寺の造営は続行、685年、本尊薬師如来銅像開眼。
1187年、興福寺の僧兵によって焼き払われ、この時奪われた本尊が、今、奈良の興福寺国宝館に安置されている仏頭だといわれています。
発掘調査によって、塔と金堂が南北に一直線に並ぶ伽藍配置が明らかになり、さらに1982年、回廊の一部が倒れたままの完全な姿で発見され、現在、飛鳥資料館に復原展示されています。

山田寺跡
Rimg3114w800金堂の前面に礼拝石
Rimg3116w800特別史跡です
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飛鳥資料館を横をまがり、集落の路地を進むと、奥山久米寺跡です。
現在は一宇を残すのみ。境内には鎌倉時代後期のものといわれる十三重石塔があります。
飛鳥期の古瓦が多く出土、伽藍配置は四天王寺式、塔の基壇は12m四方。

奥山久米寺
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Rimg3124w800


八釣川沿いに天香具山方向に向います。
このあたり、狂心の渠(たぶれごころのみぞ)運河が通っていたとみられるところです。

明日香村小山から橿原市にわたる水田のなかに大官大寺跡があります。
大官大寺は、平城遷都とともに寺籍を新都に移し大安寺となり、旧寺は、711年藤原京の大火で焼失したとのことです。

大官大寺跡
Rimg3125w800前方 天香具山
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天香具山の南麓の民家の庭に、湯笹福井大明神があり、シホウチクが植えられています。

湯笹福井大明神
Rimg3132w800四方竹
Rimg3130w800別名シカクダケ、イボタケ
茎が鈍四陵形
タケノコは秋から冬にかけて生えてくる


日向寺(にっこうじ) 聖徳太子造営の九院の一つ
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聖徳太子造営の九院
四天王寺、法隆寺、元興寺、中宮寺、橘寺、蜂岡寺、池後寺、葛城寺、日向寺


天岩戸神社 天の岩戸
Rimg3138w800神殿はない


天香具山中腹
畝傍山を望む
Rimg3142w800万葉歌碑 舒明天皇の国見の歌
Rimg3143w800・・・
国原は煙立ち立ち
海原は鴎立ち立ち
うまし国そあきつ島
大和の国は

奈文研展示資料室で研究員より展示品の説明を受けました。

奈文研展示資料室のすぐ北に、畝尾都多本神社(うねおつたもとじんじゃ 泣澤女神社)があります。
祭神の泣澤女神は、古事記によると、伊邪那岐命が伊邪那美命を失った哀しみの涙から生まれた女神です。

泣澤女神社
Rimg3148w800神殿はありません
神体は、玉垣で囲った空井戸です
Rimg3149w800万葉歌碑
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哭澤(なきさわ)の 神社(もり)に神酒(みわ)すゑ 祷祈(いの)れども
わご王(おおきみ)は 高日知らしぬ
       巻2-202  伝 桧隈女王
意味:哭澤の社にお神酒を供え、回復を祈ったけれども、その甲斐なく高市皇子はお亡くなりになった

泣澤女神社で歴史サークル例会は解散、最寄り駅耳成駅に向かうメンバーと別れ、始点の埋蔵文化財展示室に戻りました。
途中、雷丘に登りました。

雷丘からの展望
東 畝傍山
Rimg3152w800北 天香具山
Rimg3151w800北西 三輪山
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雷丘東方遺跡から、「小治田宮」と書かれた木簡が出土しています。
埋蔵文化財展示室で、雷丘東方遺跡の出土品などの説明を受けました。


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