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2008年3月27日 (木)

葛城新庄~御所 散策

なら歩楽歩楽会で、葛城新庄から屋敷山古墳、二塚古墳、笛吹神社古墳などを巡り、御所まで散策しました。

近鉄新庄駅集合。
駅の裏手が、柿本神社及び影現寺(ようげんじ)です。
Rimg4092w800駅裏の林が柿本神社
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柿本神社
鳥居
Rimg4095w800拝殿
Rimg4096w800本殿
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祭神は、万葉歌人の柿本人麻呂。
柿本人麻呂の生地と伝えられており、本殿の南側には郡山藩主松平信之が建てた「柿本大夫人麻呂之墓」の石碑があります。
Rimg4099w800万葉歌碑
Rimg4101w800春柳 葛城山に
立つ雲の
立ちても坐ても
妹をしそ思う
(巻11-2453)

境内の北側が柿本神社の神宮寺の影現寺(ようげんじ)です。
Rimg4103w800収蔵庫
Rimg4102w800柿本人麻呂学校
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神社北隣には「柿本人麻呂学校」があり、ときどき歌の勉強会が開催されているとのことです。
なお、天理市櫟本も、柿本人麻呂の生地であると伝えられており、柿本氏の氏寺とされる柿本寺(しほんじ)跡に歌塚があります。

柿本神社の北側の道を西に向かうと、茅葺の民家があります。
江戸時代の民家村井邸です(重要文化財、1699年棟上)。
番犬がさかんに吼えていました。
(居住中の民家につき写真撮影は控える)

新庄小学校を廻り、地図を頼りに、葛木御県神社を探します。
法林寺、慶雲禅寺を通り、住吉神社の参道を横切った先に小さな神社。
鳥居、拝殿に扁額はないが、これが葛木御県神社らしい。

法林寺
Rimg4106w800慶雲禅寺
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葛木御県神社?
Rimg4110w800鳥居、拝殿
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屋敷山古墳周辺は、屋敷山史跡公園として整備されています。
モクレン、ユキヤナギ、レンギョウなどが咲いていました。
サクラは多くは開花寸前ですが、満開近いサクラもありました。

Rimg4118w800Rimg4117w800Rimg4116w800

屋敷山古墳
Rimg4120w800説明板
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全長約135m、北向きの前方後円墳です。
5世紀中ごろのものと推定され、古代豪族葛城氏の首長の墓と考えられています。
当地は、戦国時代には、領主布施氏の館が築かれ、続いて江戸時代には大名桑山氏の陣屋が築かれていたことから、「屋敷山」と呼ばれるようになりました。

屋敷山史跡公園を横切り、西に向かうと、前方にこんもりした樹林が見えます。
博西(はかにし)神社です。
屋敷山古墳の西にあることから、「陵西」、「墓西」とも書かれます。
布施氏の氏神です。
本殿は2棟、一間社春日造の並ぶ珍しい形式です。
祭神は、北殿が下照比売命、南殿が菅原道真です。

博西(はかにし)神社
Rimg4124w800由緒
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拝殿
Rimg4127w800本殿
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淨願寺に回って、二塚古墳に向かいます。
神明神社古墳は、途中、道標を見かけたのですが、どこにあるのか辿り着けませんでした。

淨願寺
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二塚古墳、通称「銭取塚」は標高200m付近の高台に位置する北向きの前方後円墳です。
全長60m、後円部径36m、前方部幅41m、高さ10m。
1958年の発掘調査で、後円部の中心的な埋葬主体の横穴式石室のほかに、前方部と造出部にも横穴式石室が確認され、6世紀中頃の築造と推定されています。
前方部石室の扉が壊れていて、中に入ることができました。

二塚古墳
Rimg4138w800南側 後円部石室
Rimg4139w800造出部石室
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前方部石室
Rimg4149w800前方部石室内部
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布施城跡に行こうと坂道を登っていったのですが、・・・
山菜取りの地元の方から、「この先は行き止まりだよ。布施城跡は一路南側の川沿いの道だよ」と言われ、引き返しました。
一路南の分かれ道には布施城跡への道標がありましたが、布施城跡はあの高台だろうと眺めるにとどめ、置恩寺に向かいました。

布施城跡方向
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置恩寺すこし手前の奈良盆地展望  
中央 畝傍山、左に耳成山、香具山は畝傍山のかげ
手前の樹林は、屋敷山古墳かな
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置恩寺
Rimg4154w800
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行基開基伝承をもつ寺院ですが、実際は、置始(おきそめ)氏の氏寺として奈良時代末から平安時代はじめにかけて建立、中世には、布施氏の氏寺として布施氏と栄枯盛衰を共にした寺院です。
平安時代作の十一面観音立像が安置されています。

置恩寺から南に向かう道沿いには、ヒガンバナがびっしりと生えていました。
ヒガンバナの花の季節に訪れたいところです。

道標はところどころにしかありません。
葛城山系と太陽をもとに、ともかく南方向を目指し、葛城山麓公園、極楽寺を経て、葛木坐火雷神社(かつらきにいます ほのいかづちじんじゃ)、通称「笛吹神社」に辿りつけました。

葛木坐火雷神社
Rimg4158w800拝殿
Rimg4162w800本殿
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神域である神山一帯には80基ほどの古墳があり、それらを総称して笛吹古墳群といいます。
笛吹神社古墳は、そのなかのひとつで、笛吹神社本殿傍らの円墳(径26m、高さ3.6m)(6世紀前半ごろの築造)で、笛吹古墳群の盟主的な存在であった人物の墓と位置付けられています。

笛吹神社古墳
Rimg4164w800
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帰路に着き、東に下ります。
県道を越えたところの左手にこんもりした樹林。
寄ってみました。
脇田神社です。鳥居の傍に塔の心礎と思われる礎石がありました。
帰ってから調べると、このあたりは、忍海氏の氏寺地光寺があったところです。
地光寺は東西2つの遺跡に分かれ、各々異なる伽藍配置で、西遺跡は「四天王寺式」伽藍配置、東遺跡は「薬師寺式」伽藍配置であったと考えられ、脇田神社の境内にあるのは、東遺跡の東塔の心礎だそうです。

脇田神社
Rimg4174w800心礎の写真は撮り忘れた

→葛城市観光協会HP > 旧新庄町エリア http://www.city.katsuragi.nara.jp/kankou/kanko/shinjo/index.html

道端のノビルを採っているうちに、先行グループが、さっさと御所駅方向に向かう。
御所駅手前の飲食店で反省会。

忍海駅近くにある、飯豊青命(いいとよの あおの みこと)が政務を執ったといわれる「角刺宮」跡といわれる角刺神社に寄れなかったのは残念だが、近鉄御所駅で、コースは違うが、近鉄あみまクラブの駅スタンプをゲット、踏破記念金バッチまであとわずか。

ドアtoドアで、23千歩。

寺社境内や公園の花木については、別掲予定。

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