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2008年9月20日 (土)

平城京から長岡・平安京へ

今日から、奈良大学の公開講座奈良文化論の下期講座「大和の交通と旅について考える」が開講されるのですが、今日は、平城宮跡資料館で平城宮跡サロンの平城宮跡歴史文化講座が開催されます。
どちらも聴講したいのですが、
平城宮跡資料館に歴史文化講座「平城京から長岡・平安京へ」を聴きに行きました。
講師は、奈良女子大学教授舘野和己さん。

奈良時代の天皇は天武天皇系。
770年、約1世紀ぶりに天智天皇系の光仁天皇が誕生。
井上皇后、他戸皇太子を廃し、773年、山部親王が皇太子となる。
780年12月を1日増やして、781年1月1日を辛酉(しんゆう)年の辛酉日とし、天応元年とする。
辛酉年には天命が降下して新皇帝が出現するとされる(辛酉革命)。
同年4月、山部皇太子が光仁天皇から譲位され即位(桓武天皇)。
翌天命2年、天応の暦を長く伸ばすべく「延暦」と改元。
桓武天皇には、新王朝樹立の意識があり、天武朝の都が置かれた大和から離れ、新王朝にふさわしい都城の建設を急いだ。
平城京の副都であった難波宮の建物を移築し、784年、長岡京に遷都。
長岡遷都を急ぎすぎ、長岡京の規模などが不十分だったことなどから、793年、葛野(かどの)への再遷都を決め、794年、遷都、新京を「平安京」と名づけ、「山背国」を「山城国」に改称する。

その後の平城宮
806年、桓武天皇死去、長子の安殿親王即位(平城天皇)。
809年に弟の嵯峨天皇に譲位した平城上皇が平城宮に入り、薬子の乱(810年)後も、平城上皇は平城宮に住み続ける。
824年、平城上皇死去し、平城宮は終焉。
道路部分から水田化が始まり、条坊地割は破壊されず、水田化が進み、地割現存。

次回講演会は、来年1月25日予定。

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