田原の里に遊ぶ
飛鳥里山クラブ歴史サークルの11月例会、飛鳥を離れ、「田原の里に遊ぶ ー志貴皇子陵・太安万侶墓を訪ねてー」です。
近鉄奈良駅に集合、バスで田原御陵前まで乗り、春日宮天皇陵(田原西陵)→光仁天皇陵(田原東陵)→太安万侶墓→滝坂の道→赤穂神社→元興寺と周り、近鉄奈良駅に戻りました。
田原御陵前バス停を降りると、すぐその手前に御陵への入口があります。
甘樫丘にある万葉歌碑
「采女の袖吹き返す明日香風 都を遠み いたずらに吹く」
の作者、志貴皇子の眠るところです。
770年、白壁王が62歳の高齢で光仁天皇に即位したとき、716年に没している父親の志貴皇子(天智天皇の第七子)に春日宮天皇(田原天皇ともいう)号を追贈しました。
春日宮天皇陵(田原西陵)
茶畑の多いところです
御陵入口手前
万葉歌碑
いわばしる たるみのうえの さわらびの
もえいづるはるに なりにけるかも
志貴皇子 巻8-1418
秋晴れの田原の里を歩きます。
道沿いの各所にツリガネニンジンやリンドウが咲いていました。
フキの葉も各所で見ました。
春先には蕗の薹がたくさん芽生えるでしょう。
標識「農耕車に注意」
法面にツリガネニンジンが群生
リンドウ
途中の太安万侶墓を後回しにし、光仁天皇陵に直行します。
このあたり、映画「殯の森」の舞台となったところだそうです。
光仁天皇は、当初は、広岡山陵に葬られたが、延暦5年(786)に田原陵に改葬されたそうです。
子の桓武天皇が、祖父の眠る田原西陵の近くに父親の陵を移したのでしょうか。
来た道を戻り、太安万侶の墓を訪ねます。
茶畑の急な坂道を登ったところに墓があります。
30年ほど前、1979年1月、茶畑を掘っていた近くの農夫が、「・・・太朝臣安万侶・・・」の銘文が刻まれた銅版製墓誌を掘り当てて、話題になったところです。
太安万侶墓近くの茶畑のなかで昼食。
近くで農作業をしているおじいさんにメンバーが話しかけたところ、まさにそのおじいさんが太安万侶墓を掘り当てた方でした。
91歳。まだまだお元気です。
田原の里の道沿いの赤い実
サルトリイバラ
ビナンカズラ
ツルリンドウ
県道183号、184号と進むと、前方の茶畑に大きな地蔵仏が見えてきます。
滝坂の道に入ります。
八柱(八王子)神社前の休憩所で小休憩。
春日山石窟仏に立寄りました。
首切地蔵、朝日観音、夕日観音、寝仏を見て、破石町に下ります。
道沿いに小さな神社。
十市皇女ゆかりの赤穂神社です。
なお、新薬師寺の側に十市皇女が埋葬されていると伝えられている比売塚があり、同地に1981年に比賣神社が建立されています。
比売塚がお墓で、赤穂神社は拝所だったとか。
ならまちでは、飛鳥より移設された元興寺極楽坊を拝観しました。
元興寺極楽坊の本堂北側の屋根と禅堂南側屋根西端には、法興寺(飛鳥寺)から持ってきた瓦が今でも数千枚使われているそうです。
また、禅堂に使用されていた巻斗が年輪年代法で582年伐採の檜と判明しており、法興寺の建築部材のいくつかが元興寺に再利用されていたことを物語っています。
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