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2009年3月27日 (金)

御所宮戸橋~市尾 散策

なら歩楽歩楽会シニア4名で、御所宮戸橋バス停から、宮山古墳→巨勢山古墳群条池支群→琴弾原日本武尊白鳥陵→掖上鑵子塚古墳→孝安天皇陵→吉祥草寺→神武天皇社→光雲寺→斉明天皇陵→市尾墓山古墳と巡り、近鉄市尾駅まで散策しました。

みやす塚古墳より宮山古墳を望む
後方 金剛山~水越峠~葛城山
Rimg8572w800

光雲寺~市尾墓山古墳は、一昨年10月に大和路散策会で散策したコースの逆コースです。
2007年10月 6日 (土) 市尾~飛鳥 散策

散策コース

大きな地図で見る

(続き 写真及び散策記 3月31日記載)

近鉄御所駅に集合。
鴨都波神社、鴨都波遺跡はスキップし、宮戸橋までバスに乗りました。
車窓からは宮山古墳全形が眺められたが、宮戸橋バス停で降り立つと、人家に遮られて、全形が見えません。
近づくと、大きすぎて、1枚の写真に撮れません。

宮山古墳
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説明
Rimg8551w800ネコ塚古墳
Rimg8550w800ネコ塚古墳
宮山古墳の陪冢(ばいちょう)と考えられる大型の方墳

宮山古墳は、「室(むろ)の大墓」と云われ、大和西南部平野変換線上に造られた5世紀はじめ頃の前方後円墳で、葛城地方最大の古墳です。
丘尾切断による墳丘は、三段築成で、全長238m、前方部幅110m、高さ22m、後円部径105m、高さ25m。
明治年間に前方部から木棺と、鏡が11面、更に多数の玉類が出土し、武内宿弥(たけしうちのすくね)の墓と伝えられています。

古墳東側に八幡神社があり、ここが宮山古墳後円部への登り口になっています。
境内に「孝安天皇室秋津島宮(こうあんてんのうむろあきつしまのみや)跡」の石碑が建っています。

八幡神社
Rimg8552w800本殿
Rimg8564w8006代 孝安天皇
室秋津島宮跡
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宮山古墳後円部への登り口
Rimg8562w800登り口
Rimg8563w800登り道
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急な階段を登ると、後円頂上は、広場になっています。
石室内は、早朝に雨が降ったのでしょうか、水浸しで、降りれませんでした。

宮山古墳後円部頂上
Rimg8560w800石室、石棺説明
Rimg8557w800埴輪説明
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前方部への路は分かりませんでした。
八幡神社に戻り、古墳南側の桜田池公園から、古い家並みの室の集落を東に歩きます。

水路が流れ、道沿いに石灯籠2基
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左手にみやす塚古墳が見えてきます。
道なりに左に曲がり、人家の切れ目の細道を入っていくと、古墳中腹に石の祠があります。
サクラが咲き始め、前方に、宮山古墳、その後方に、水越峠が展望されます(最初の写真)。

みやす塚古墳
Rimg8573w800古墳中腹に祠
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このあたりから、南東にかけての一帯に7~800基の古墳が集中しているそうです。巨勢山古墳群です。

巨勢山古墳群条池支群
Rimg8576a條庚申塚古墳石室
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條庚申塚古墳上の祠
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条池北古墳方向
ムラサキハナナ
(別名 ハナダイコン)
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條ウル神古墳
Rimg8585w800説明
Rimg8586w8006世紀後半の築造
全長100m以上か
石舞台古墳に匹敵する巨大な横穴式石室
高さ3.8m,長さ7.1m

新旧の道が複雑に交差する富田交差点を東に進むと、琴弾原白鳥陵です。

琴弾原日本武尊白鳥陵
Rimg8591w800石碑
Rimg8589w800説明
Rimg8588w800
父である景行天皇の命令で、東国を征服した日本武尊は、大和に凱旋する途中、伊吹山の荒ぶる神に呪いをかけられ、三重の能褒野(のぼの)で亡くなりますが、尊の霊は白鳥となり、大和の「琴弾原」を経て、河内の「古市」方面に飛び去ったとの伝承から、「能褒野」、「琴弾原」、「古市」にそれぞれ日本武尊白鳥陵が存在します。

市民運動場、秋津鴻池病院の傍らを通り、JR掖上駅方向に向かうと、掖上鑵子塚古墳です。
5世紀後半の築成と見られる前方部を南西に向けた前方後円墳(後円部の径に対して前方部の長さが半分と短く、帆立形古墳に近い形態)です。

掖上鑵子塚古墳
Rimg8592wide説明
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全長約150m、前方部の幅88m、高さ12m、後円部の径102m、高さ17.5m

近鉄てくてくまっぷは、ここから、今住を通り、市尾宮塚古墳に向かうのですが、今次散策は、秋津鴻池病院まで戻り、北上、吉祥草寺を目指します。
途中に、孝安天皇陵玉手丘上陵があります。
左手に墓地が広がり、前方に万願寺が見えてきます。
万願寺の手前横の鳥居をくぐり登っていくと金比羅神社です。
神社の直ぐ下に天皇陵が見えます。
神社の裏側から天皇陵に降り立つことが出来ました。
万願寺境内からも登って来る階段がついていました。

万願寺
Rimg8597w800金比羅神社
Rimg8599w800孝安天皇陵
玉手丘上陵
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天皇陵からは北側に通ずる参道を降り、北上、JR玉出駅の手前で、県道に出て、吉祥草寺に向かいました。

茅原山吉祥草寺は、修験道の開祖役行者の出生地といわれ、境内の一角には役行者の産湯の井戸があります。
毎年1月14日の大トンドで有名です。

茅原山吉祥草寺
Rimg8611w800説明
Rimg8612w800役行者産湯の井戸
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吉祥草寺からは、県道の1路北の田中の道を東に向かいます。
掖上小学校を越えると、柏原です。
水平社博物館があり、その隣に神武天皇社があります。
神武天皇社の祭神は、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこのみこと)で、神武天皇の即位した場所であると言われています。神武天皇が都を定めた橿原は、今の橿原ではなく、ここの柏原であったという説です。

水平社博物館
左側 神武天皇社、左後方 越智崗? 
Rimg8623w800神武天皇社
Rimg8625w800本殿
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曽我川を渡り、越智氏の菩提寺光雲寺を訪ねます。
なぜか高取城の瓦が展示してありました。

光雲寺 
Rimg8627w800山門
Rimg8628w800高取城の瓦
Rimg8630w800

光雲寺の裏山から斉明天皇陵に抜けます。
一昨年斉明天皇陵から光雲寺に降りてきたコースを遡ります。
途中に道標があり、ほぼ1本路なので、迷わず斉明天皇陵に辿りつけましたが、夏場に笹などが生い茂れば分かりにくくなる山路です。

光雲寺から斉明天皇陵へ
Rimg8632w800分岐に道標
Rimg8633w800斉明天皇陵裏に辿りつく
Rimg8634w800

斉明天皇越智崗上陵
車木ケンノウ古墳(円墳、直径約45メートル)
Rimg8636w800大田皇女墓
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斉明天皇は、越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)に葬られたとされ、宮内庁は高取町大字車木にある車木ケンノウ古墳(円墳、直径約45メートル)を皇極・斉明天皇陵に治定しているが、研究者のあいだでは明日香村の牽牛子塚古墳とする説が有力である。
越智崗上陵には、孝徳天皇皇后間人皇女、天智天皇皇子建王が合葬、山腹に天武天皇妃大田皇女の墓がある。

斉明天皇陵の参道の長い階段を降り、市尾に向かいます。
道沿いにノビルがここそこに生えていました。
ノビル採取。

市尾墓山古墳
Rimg8639w800後円部
Rimg8642w800石室内
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前方頂上から後円部を写す
Rimg8646w800後円頂上から前方部を写す
後方 葛城連山~二上山
Rimg8648w800

ころあいの時刻だったので、市尾宮塚古墳は省略し、近鉄市尾駅から、ちょうど来た電車に乗り、八木で途中下車、いつもの「天まで上がれ」で反省会。採取したノビルもつまみになりました。

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