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2009年7月15日 (水)

甘樫丘周辺地区を訪ねて

飛鳥里山クラブ歴史サークル7月例会です。
13期生担当で、甘樫丘周辺史跡を巡りました。
13期生は、今次例会に向けて、下見を2回も行い、文献もいろいろと調べたとのことで、これまでにない充実した資料。
ありきたりの通説にとらわれず、異説の紹介や新たな視点からの疑問なども提示されました。

コース
豊浦休憩所集合→甘樫丘展望台→豊浦宮跡・豊浦寺跡→甘樫坐神社(素通り)→小墾田宮跡(古宮土壇、雷丘東麓遺跡)→豊浦休憩所に戻り昼食→明日香村埋蔵文化財展示室→石神遺跡→水落遺跡→入鹿の首塚→飛鳥寺→酒船石遺跡

昨年は、私たち12期生が担当しました。
昨年の記事
2008年7月 4日 (金) 甘樫丘周辺地区歴史探訪下見会
2008年7月18日 (金) アスカ 歴史サークル7月例会

まず甘樫丘展望台に登り、飛鳥を展望しながら、甘樫丘周辺遺跡の概説を受けました。
R0010259

晴れ渡り、葛城~生駒山がくっきりと見渡せました。
大和三山は、・・・
樹木の枝葉が伸び、天香久山が見づらく、三山同時の展望が出来なくなっているweep

     畝傍山          耳成山       天香久山
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三輪山も樹木の合間
R0010252

大和三山の中央に、藤原京跡
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(続き 7月17日記載)

豊浦宮跡・豊浦寺跡
向原寺住職さんより、昨年同様、というより、昨年以上に熱の入った説明を受けました。
排仏派が仏像を捨てたという「難波の堀江」は、はたして、どこだったのだろうか?

飛鳥での通説は、向原寺の南側にある難波池。
排仏派が捨てた仏像を、後年、善光さんが拾い、信濃の家に安置したのが、信州善光寺の起源とか。

難波の堀江 難波池
R0010261難波池から出てきた仏頭
補修後の写真
R0010262善光さんに拾われた善光寺の秘仏以外にも、仏像は捨てられていたらしい


甘樫坐神社
拝殿
R0010267本殿
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祭神は、推古天皇、八幡宮、春日大明神、天照皇大神、八咫烏神、住吉大明神、熊野権現の7柱。
中央の春日造本殿に主祭神推古天皇を祀り、左右の流造の相殿に3柱づつ祀られている。
延喜式では、甘樫坐神社四座とあり、『五郡神社記』には、祭神は、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)、大禍津日神(おほまがつひのかみ)、神直毘神(かみなほびのかみ)、大直毘神(おほなほびのかみ)とある。
推古天皇を主祭神とするようになったのは、近世以降のことのようだ。


豊浦駐車場からの展望   畝傍山 ~ 古宮土壇
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小墾田宮跡
古宮土壇説、雷丘東麓遺跡説のほかに、説明は無かったが、資料によると、三十八柱(みそやはしら)神社付近との説もあるとか。
いずれ機会をつくって、訪ねてみることにしよう。
→神社探訪 狛犬見聞録・注連縄の豆知識 > 三十八柱神社 桜井市大福http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/nara/sakuraisi/misoya/misoya.html

石神遺跡
通説は、噴水施設のある斉明朝の饗宴施設。
中大兄皇子の小墾田宮説もあるとか。
通説の説明のあと、説明者から、当時の飛鳥の人口はどれぐらいで、どのような暮らしをしていたのだろうかとの疑問が提されたが、だれも回答できず。

石神遺跡   前方後方:耳成山  右方:天香久山
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水落遺跡
通説は、斉明6年(660)に中大兄皇子が造らせたといわれる漏刻跡だが、・・・
漏刻に、3方向への取水管や排水管が必要なのだろうか?

入鹿の首塚
高見山登山口(松阪市飯高町波瀬)にも、入鹿の首塚があるとか。

最後の酒船石遺跡の入口で、ちょうどバスが来たので、酒船石遺跡の説明は受けずに、バスで帰りました。

ドアtoドアで、13千歩

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