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2010年1月16日 (土)

山崎~天王山

大和路散策の会1月例会で、山崎の宝積寺(ほうしゃくじ)を訪ね、天王山を散策しました。
宝積寺は、聖武天皇の勅願により、行基菩薩が建立したと伝えられる乙訓地方きっての古刹です。

JR山崎駅集合。参加者29名。
駅前に、離宮八幡宮、妙喜庵があります。
離宮八幡宮は、嵯峨天皇の離宮跡に勧請された八幡宮です。
当地は、荏胡麻油生産の発祥地で、中世には、当地の油座が全国の油販売権を独占していたそうです。
境内に、油祖像、「本邦製油発祥地」の碑がありました。
Dscn1019油祖像
Dscn1018「本邦製油発祥地」
Dscn1020

妙喜庵には、国宝の茶室「待庵」がありますが、1月20日まで閉鎖中で、拝観できませんでした。

JR線を渡り、宝積寺まで急坂を登ります。
山門の仁王さんが迎えてくれます。
Dscn1030「一夜の塔」 三重の塔
山崎の合戦で勝利した秀吉が戦勝記念に一夜にして建立したと伝わる
Dscn1033本堂
Dscn1037

本堂本尊の十一面観音は、節分会終了まではお休みで、それまでは、小槌宮の大黒様が取り仕切っています。
小槌宮には、聖武天皇が竜神から授けられたという「打出」と「小槌」が祀られています。
また、昔々、大坂からおわんの船で淀川を上ってきた一寸法師は、この寺で修行し、京に鬼退治に出かけたとのことです。
当寺は、眷属を伴った閻魔像でも有名です。
閻魔堂の閻魔大王及び眷属御影を拝観しました。

宝積寺から天王山を登ります。
天王山中腹、酒解神社の大きな鳥居の脇に旗立松。
山崎の合戦で、秀吉が味方の士気を高めるため老松の樹上高く千成ひょうたんの旗印を掲げたところ、戦局に大きな影響を与え勝利を収めたといわれています。
旗立松展望台に、大きな「秀吉の道」陶板画が2枚ありました。
ハイキングコース沿いに、秀吉天下取りの物語が、作家堺屋太一さん監修、日本画家岩井弘さん原画で作成された陶板画6枚が展示されているそうです。
6枚もあったかな。
しばらく登ると、十七士の墓がありました。
Dscn10521864年、禁門の変の戦いに敗れた真木和泉守以下17名の墓です。
長州藩士といわれているが、出身地は、九州各地です。

小さな社がいくつかあり、酒解神社本殿に辿り着きます。
自玉手祭来酒解神社
たまでより まつりきたる さかとけじんじゃ
と読みます。
祭神は、説明書きには、酒解神、素戔嗚命他九柱とある
酒解神はどのような神様なのだろうか。
本殿手前の神輿倉が、わが国最古の板倉造りだそうで、重要文化財に指定されています。

酒解神社本殿(神殿はこの中なのかな)
Dscn1057重文 神輿倉 最古の板倉造り
Dscn1056Dscn1068

天王山に登頂。
三角点は見当たりませんでした。
Dscn1062頂上 270m
Dscn1061頂上広場で昼食。
小雪がぱらついてきました。

小雪は止み、再び晴れわたりました。
しっとり濡れた落ち葉に滑らぬよう、注意して下山です。
観音寺(山崎聖天)に下りました。

観音寺(山崎聖天)
Dscn1075今日が初聖天
Dscn1076境内で、お汁粉を振舞っていました。
冷えた体に、おいしい暖かさでした。

大山崎町歴史資料館に寄り、妙喜庵茶室「待庵」レプリカや 山崎の合戦の展示などを見て、解散。

歩いた距離は4キロほどだったが、寒さのなか、天王山の登り下りは、けっこう厳しかった

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