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2010年2月18日 (木)

平端~額田~安堵~斑鳩

なら歩楽歩楽会シニア7名で、平端駅から額田~安堵~斑鳩まで散策しました。


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(続き 写真 2月22日掲載)

1 五輪塔覆堂
天正12年(1584)、36歳の若さで亡くなった筒井順慶は、いったん円証寺(奈良市)に葬られたあと、この墓所に移された。
小さな建物だが、近世初頭の墓堂として優れた意匠をもつ。
建物の中には順慶を供養する五輪塔や、一周忌に寄進された石燈篭がある。
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2 松山古墳
額田部地区で最も古い時期の古墳です。
Dscn1439古墳時代中期初め(5世紀初め)
径約52m円墳


3 推古神社
この辺り、推古天皇の出身地と伝えられている
万葉歌人額田王もこの辺りの出身と云われている

推古神社古墳
全長約41m、後円部径約26m・高さ約2m、前方部幅約23m・高さ約2mの前方後円墳
後円部と前方部の南半分は推古神社の本殿が建ち、旧態をとどめていない

推古神社
Dscn1446拝殿
Dscn1442本殿
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4 熊凝山額安寺(かくあんじ)
飛鳥時代に聖徳太子の建立と伝えられ、大安寺の前身である熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)跡ともいわれるが、実際にはこの地を本拠としていた豪族額田部氏の氏寺として建立されたものと思われる。
推古天皇の額に悪瘍が生じた時、薬師如来に祈ったら平癒されて、「額安寺」の寺号を賜ると伝えられている。
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額安寺宝筐印塔
額安寺境内前の池の中にあったが、境内に移設されていた。
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Dscn1452鎌倉時代中期、文応元年(1260)建立、高さ約283cm、花崗岩製
塔身に梵字、格狭間(基礎部分)に「文応元年十月十五日願主永弘」「大工大蔵安清」と刻まれている

額安寺五輪塔
案内書に、「五輪塔が8基L字形に並んでいる」 ・・・ 9基ある!
Dscn1458通称「鎌倉墓」
南端の一番大きな五輪塔は忍性菩薩の墓
Dscn1457なお、忍性菩薩の遺骨は鎌倉市の極楽寺、生駒市の竹林寺にも分骨されている

額田部窯跡
Dscn1459国史跡
Dscn1460鎌倉時代に、額安寺再興の瓦を焼いた窯跡


5 額田部狐塚古墳
大和中央道の南行き車線と北行き車線が分離し、高低差
Dscn1462これが古墳かな
Dscn14616世紀前半、前方後円墳、全長50m


北側の棺から銅鏡、冠帽の破片、首飾り、純金の首飾り、直刀、挂甲、馬具
南側の棺からわずかな人骨が残り、碧玉の管玉の首飾り、銀製の耳飾があり、
北棺には男性、南棺には女性が埋葬されていた見られる

6 堀ノ内古墳
Dscn1463径約20mの円墳


7 安堵町歴史民俗資料館
江戸時代、代々村の庄屋で、幕末の天誅組と親交のあった今村文吾、明治20年大阪府から奈良県を独立・再設置に導いた今村勤三、大阪帝国大学第5代総長を勤め、文化功労者の今村荒男(あらお)氏らの生家を転用・活用し、町の歴史や伝統、民俗資料を展示・ 伝承する場として、平成5年10月に開館
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Dscn1475庭園の枝垂桜
見ごろは4月中旬か
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8 富本健吉記念館
近代陶芸の巨匠富本憲吉(明治19~昭和38)の生家を改造した記念館
見学パス

9 飽波神社
上宮遺跡、広峰神社と共に、ここを、聖徳太子の「飽波宮」跡とも伝えられている
「太子道」に面し、境内に聖徳太子ゆかりの「御幸(みゆき)石」、「影向石(ようごうせき)」がある
Dscn1480説明板
Dscn1482御幸(みゆき)石
Dscn1484
境内一周したが、影向石は、見当たらなかった。

10 天理軽便鉄道の橋げた跡
Dscn1487大正7年~昭和27年、法隆寺駅~丹波市(天理市)まで、大正時代にタンク機関車が走り、昭和になって、ボンネットバスを改造したレールカー・ガソリン機関車が走っていた


11 上宮遺跡
Dscn1489奈良時代の大規模な建物群跡
宮殿級の柱の根元や平城宮と同じ瓦が数多く出土
聖徳太子の「飽波宮」跡、称徳天皇の幻の行宮「飽浪宮」跡とされている


12 調子丸古墳
Dscn1498直径14m程度の円墳
平成 12年度に古墳の北側で行った発掘調査では、馬具などの表現を施した精巧な造りの土馬の頭部が出土

13 駒塚古墳
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Dscn1505古墳時代前期(4世紀後半)
前方後円墳 全長約49m


14 中宮寺跡
国史跡
室町時代に現在地(西方550m)へ移転するまでの「中宮寺」があった所
発掘作業中でした。
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15 富郷陵墓参考地
宮内庁管轄の円墳所在は分かりませんでした。
Dscn1518地元では「岡の原」と呼ばれている直径200m程の岡の頂上に直径30m程の円墳(宮内庁管轄)があるとのこと

聖徳太子の皇子山背大兄王の墓所と伝えられる。


16 斑鳩神社
天慶年中(940年頃)に菅原氏の苗裔甚照が菅原道真を祀って創祀、1324年(元亨4年)僧慶祐が社殿を造営した神社で、「法隆寺」鬼門の守護神です。
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17 斑鳩大塚古墳
Dscn1530直径35m、高さ4mの円墳(墳丘の半分は破壊されている)
4世紀末~5世紀前半と推定(古墳時代中期)

18 伊弉冊命(いざなみノみこと)神社
斑鳩大塚古墳のすぐ南
Dscn1535拝殿
Dscn1531覆屋のなかに
重文 春日造本殿 
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19 業平井戸と日切地蔵尊
立派な斑鳩町役場の対面に、業平井戸と日切地蔵尊があります。
Dscn1539日切地蔵尊
Dscn1540その背後に、
これが業平井戸?
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