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2010年7月 3日 (土)

7月3日 矢田寺

大和路散策の会7月例会は、矢田寺から松尾寺へ矢田丘陵散策の予定でしたが、
あいにくの雨。
近鉄郡山駅からバスで矢田寺に行き、アジサイ園を観覧、参道沿いの店屋で昼食後、散会となりました。
散会後、バスで帰る皆と別れ、周辺の遺跡を探訪、近鉄郡山駅まで独りで散策しました。

矢田寺
参道階段途中の地蔵さん
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味噌なめ地蔵さん 味噌をなめている!
Dscn3208「家の味噌の味が旨くできずに困っていた農家の女が、夢の中で矢田寺の地蔵さんに「私に味噌を食べさせてくれたら良い味にしてあげよう」といわれた。翌朝、寺に詣って夢で見た地蔵の口に味噌を塗って帰ると、味噌の味が良くなった。」という伝説がある。
自家製の味噌を作る農家は少なくなったが、それでも近年までは地蔵の口に味噌を塗り味をよくするように祈る風習が残っていた。


アジサイ園
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見送り地蔵さん 本堂に背を向け
Dscn3225東を向いています
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最も古い矢田型の地蔵石仏で、少し参道を下がった所にある。
満米上人が地獄から帰って、地獄で見た地蔵菩薩を仏師に刻ませたが思うように出来ずにいると、4人の翁が現れ、三日三晩で彫り上げたという。
上人が名を聞くと「我らは仏師でなく、仏法守護の神、汝の念願をかなえる為に来た」と云って、春日山の方へ飛んで行った。
四人の翁は、実は春日の四社明神で、その時、帰って行く翁を見送る地蔵の姿という。
花崗岩製、高さ190cmの舟形光背に、永正12年(1515年)の銘がある。

本尊の地蔵さんの特別公開は6月末までだったので、拝顔できませんでした。

(矢田地蔵縁起)
矢田寺は建立当時は十一面観音をご本尊にしていました。
「矢田の地蔵さん」として知られるようになったのは、平安時代に満米上人がお寺に入られてからのことです。
上人はもと満慶という名前で、小野篁という人のお師匠でした。
篁は不思議な人で、身体は朝廷に仕えながら魂は閻魔王宮にあったといいます。
あるとき閻魔王が「この世の人々の罪があまりにも重いので、それが私を苦しめるのだ」というので、「それには菩薩戒をお受けになるしかありません」 とお答えします。
「菩薩戒」というのは、仏教で最高の修行を終えた人に授けられる尊い位です。
しかし、地獄には戒律を授ける偉いお坊さんがいないので、上人にお願いすることになりました。
無事、菩薩戒を授けられたあと閻魔王が「お布施には何を差し上げましょう」とたずねますと、上人は「それでは地獄の有様を見せてください」とお答えになりました。
閻魔王の頼みで地獄に行った満米上人はそこの有様をご覧になりました。
針の山や血の池を始め、様々の苦しめを受ける人が数知れません。
その中で、お坊さんの姿をした人が地獄の炎に焼かれています。
不思議に思った上人がたずねられますと「私は地蔵菩薩です。人々に代わってこの苦しみを受けています。しかし縁のない衆生は救うことができません。あなたは娑婆に帰って人々に私と縁を結ばせ、またこのように苦しみを受けていることを伝えてください」とおっしゃいました。
上人が地蔵菩薩に拝礼してお帰りになるとき、閻魔王から、うるし塗りの箱を一つお受けになりました。
この世界に帰って開けてみると、箱には白米が入っていて、使っても使っても、すぐまた一杯になります。
それで上人は仏師にお地蔵さんを作らせ、矢田寺に安置されました。
それ以後、上人を満米上人とお呼びするようになりました。
(出典「和州旧跡幽考」)
(引用:http://mountainpenguin.web.fc2.com/yata/yataguide/yatatera.htm)

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