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2010年9月21日 (火)

佐紀盾列古墳群

大和盆地北方に標高100m前後の丘陵が東西に横たわり、山背(山城)との境界をなしています。。
ならやま丘陵です。
浸食により谷が入りこんでいます。
現在国道24号線及びJR大和路線の通る谷間を境に、概ね東側が佐保地域、西側が佐紀地域です。
佐保路、佐紀路という場合は、法華寺を境とし、転害門から法華寺までを佐保路、法華寺から西大寺までを佐紀路といいます。

ならやま丘陵の西側南斜面(佐紀)の尾根筋に古墳時代前期~中期の古墳が築造されています。
東西2Km、南北1Kmほどの範囲に、全長200Mを超える巨大前方後円墳7基を含む多数の古墳が集積しています。
巨大前方後円墳が盾状に並んでいるところから、佐紀盾列古墳群と称されています。
(やや南に離れた宝来山古墳を佐紀盾列古墳群に含める場合もある。)
歌姫街道(下ツ道)で西群と東群に区分でき、西群は4世紀、東群は4世紀末~5世紀の築造と見られています。

佐紀盾列古墳群(出所:近鉄「大和の古墳」)
Img014

近畿の大型古墳は、
 1 盆地東南部の大和・柳本古墳群(行燈山古墳、渋谷向山古墳など) 
→2 佐紀盾列古墳群西群(五社神古墳、佐紀陵山古墳、佐紀石塚古墳など) 
→3 河内の古市古墳群(誉田御廟山古墳など)、和泉の百舌鳥古墳群(大仙古墳など)と変遷。
 佐紀盾列古墳群東群(ヒシアゲ古墳、コナベ古墳、ウワナベ古墳など)は、河内の古墳群と同時期(古墳時代中期)に築造されています。

西群の五社神古墳(仲哀帝妃神功皇后)、佐紀陵山古墳(垂仁帝妃日葉酢媛皇后)は、皇后陵と治定されていますが、佐紀石塚山古墳や宝来山古墳とともに、王墓が河内に移動する前に築造されており、そのスケールからみて大王墓の可能性があります。
一方、東群のヒシアゲ古墳(仁徳帝妃磐之媛皇后)、コナベ・ウワナベ(古語でそれぞれ前妻・後妻の意味)古墳は、王墓が河内に異動後も大和に残っていた大王家の血統を引く有力首長の墓であると考えられ、大王の妃がこれら首長家より嫁ぎ、没後父親の墓に帰葬されたという見方があります。

佐紀古墳群西群
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佐紀古墳群西群は、佐紀古墳群の中でも造営時期が古い一群です。
古墳時代前期後半から古墳の造営が始まり、佐紀陵山(日葉酢媛命陵)古墳が最も古く、次に佐紀古墳群最大の規模を有する五社神(神功皇后陵)古墳、佐紀石塚山(成務天皇陵)古墳の順に造られたと考えられています。
いずれも全長が200mをこえる大型前方後円墳です。
上記古墳以外にも、瓢箪山古墳(96m)や塩塚古墳(105m)といった100m前後の中規模前方後円墳、径40~50mの規模の大きい円墳もあります。

佐紀古墳群東群
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佐紀古墳群東群は、古墳時代中期の古墳を中心とする古墳群です。
全長200mを超えるウワナベ、コナベ古墳やヒシャゲ(磐之媛陵)古墳などの大型古墳からなる古墳群で、この時期のヤマトでは最大級の古墳が築かれています。
これらの古墳は、コナベ古墳→ウワナベ古墳→ヒシャゲ古墳の順で造られたと考えられています。
大阪府の古市古墳群や百舌鳥古墳群と共通する点が多く、河内の大王陵と密接な関係がある古墳群と考えられています。

主要古墳説明へのリンク
五社神古墳(神功皇后陵)
佐紀陵山古墳(日葉酢媛陵)
佐紀石塚山古墳(成務天皇陵)
佐紀高塚古墳(称徳天皇陵)
猫塚古墳
瓢箪山古墳、衛門戸丸山古墳
塩塚古墳
⇒オセ山古墳(マラ塚)
ヒシアゲ古墳(磐之媛陵)
コナベ古墳
ウワナベ古墳
市庭古墳(平城天皇陵)
⇒神明野古墳跡

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