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2010年12月の7件の記事

2010年12月17日 (金)

12月17日 子規の庭~日吉館跡~御祭り~東塔院跡

12月17日は春日若宮御祭りの御渡り式~御旅所祭です。
写真美術館での展示会「会津八一と奈良の写真家 ー工藤利三郎・小川晴暘・入江泰吉ー」が23日まででもあるので、奈良に出かけることにしました。
他にも訪れたいところがあるので、奈良市街での移動容易のため自転車で出かけました。

転害門近くの天平倶楽部に「子規の庭」があります。
この地に、明治~大正期に多くの文人が宿泊した老舗旅館「對山楼」がありました。
明治を代表する文学者で俳人 正岡子規の「柿食へば鐘がなるなり法隆寺」の句は、明治28年秋、奈良を旅した際に詠まれたものです。
この奈良旅行で子規が宿泊した旅館對山樓の跡地(現 日本料理・天平倶楽部)の一角に百年を超える柿の古木が残っていました。
この古木の保存を通して、奈良の地で子規を顕彰しようという気運が高まり、平成18年秋、古木周辺が「子規の庭」として整備され、公開されています。
→「子規の庭」ホームページ http://shikinoniwa.com/


転害門
Dscn5331


「子規の庭」前の表示
Dscn5335「子規と奈良」解説
Dscn5337

「子規の庭」
柿の古木 秋に来るべきだった
Dscn5340子規句碑
Dscn5343秋暮るゝ 
奈良の旅籠や 
柿の味
Dscn5346

会津八一も明治41年はじめて奈良を訪れたとき、對山楼に泊まりました。
会津八一は大正10年に奈良を再訪したときは、登大路の日吉館に宿泊し、以後、日吉館を定宿にします。
登大路にあった日吉館跡地を見に行き、1軒置いて隣の飛鳥園に立ち寄りました。
日吉館は2009年6月取り壊され、同地にあった会津八一歌碑2基は飛鳥園庭園に移設されています。

登大路通り 日吉館跡、飛鳥園
Dscn5361日吉館跡
店舗県住宅建設中
Dscn5357cf 2007/3 撮影
Pict6372w800

飛鳥園
Dscn5360

飛鳥園 会津八一歌碑
Dscn5390
Dscn5393かすがのの
よをさむみかも
さをしかの
まちのちまたを
なきわたりゆく

飛鳥園 会津八一歌碑
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Dscn5397かすがのの
よをさむみかも
さをしかの
まちのちまたを
なきわたりゆく

春日大社を横切り、写真美術館を訪ね、展示会「会津八一と奈良の写真家 ー工藤利三郎・小川晴暘・入江泰吉ー」鑑賞です。
大きな写真で仏像を見ると、堂内の薄暗いなかで判別しがたい細部も分かります。
薬師寺東塔の水煙の「あまつをとめが ころもでの ひまにもすめる」青空が写っている写真もありました。

12時を過ぎ、御祭りの御渡り式、パレードはもう出発している時刻ですが、写真展も魅力的です。
1時近くまで写真美術館で過ごし、春日大社に急ぎます。
途中の福知院北交差点でミニパトカーが来て、北行き通行止めにしました。
御祭りのパレードが春日大社一の鳥居に達し、交通規制が始まったところでした。

春日大社参道
一の鳥居を入ったところ
御祭り御渡り式 馬長児
Dscn5369競馬
Dscn5370影向の松
松の下式
Dscn5373

パレードの到着を待つ御旅所
Dscn5377大和士?到着
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御旅所祭りの始まりは4時近くとのことで、薄暗くなるし、寒くなってきたので、パレード到着の途中で、引き上げることにしました。

国立博物館本館(最近「なら仏像館」に改称)の南東で発掘調査が行われていました。
今朝の新聞に出ていた春日大社東塔院跡の発掘調査です。
発掘調査作業をしばらく眺めていると、発掘作業中の国立博物館のかたが出てきて、見物人に説明してくださいました。
独立行政法人国立文化財機構に統合された奈良文化財研究所と奈良国立博物館との初めての共同発掘調査です。

東塔院発掘調査中
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Dscn5382今回調査区
遺構平面図
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春日大社東塔跡 後方 発掘調査地
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春日大社西塔は1116年、東塔は1140年に建立、治承4年1180年平重衡の焼き討ちで炎上、再建されるも、1411年の雷火で焼失。以後再建されることなく現在に至っています。
春日大社東西塔は、それぞれ春日大社参道に面して南門を持つ複廊、東・西・北は築地塀に囲われ、院を形成していたとのことです。

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2010年12月16日 (木)

12月16日 尼ヶ辻~高の原

なら歩楽歩楽会シニアで、尼ヶ辻から、垂仁天皇陵~安康天皇陵~喜光寺~西大寺奥の院 体性院~秋篠寺~忍熊王墓~押熊瓦窯跡~石のカラト古墳を訪ね、高の原駅まで散策しました。
今回は、東京から春日若宮御祭り見物を兼ねての参加者を含め10名です。

尼ヶ辻駅集合。
西大寺駅で誤って急行に乗り、郡山まで行ってきたメンバーを待って、出発。

尼ヶ辻駅前に大きな道標
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宝来山古墳(垂仁天皇陵)の濠に出ると、傍らに、囲われた空き地。
宮内庁管理、陪塚ほ号です。
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古墳の濠には水鳥がたくさんいました。
マガモやコガモはなんとか区別つくが、キンクロハジロ、ヒドリガモなど教えてもらってもすぐに忘れてしまう。 

*宝来山古墳(垂仁天皇陵) 12月8日撮影です
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Dscn5107*このときも水鳥はたくさんいました
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(*今回のコースは、過去訪れたときや先日12月8日に自転車で周ったときの写真があるので、今回は、ブログ用写真はあまり撮りませんでした。適宜、過去撮影の写真を*印をつけて使用します。今回歩かなかった地点からの写真もあります。青空、雲とか植物の状況が異なっており、やはり、その都度写真に撮るべきだったかなと反省しています。とはいえ、今日はどんよりした曇り空、先日は雲漂う青空で、先日写真のほうが写りが良い。)


*生駒連山 垂仁天皇陵から
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垂仁天皇陵北端から西に向かって歩みます。
第2阪奈道路宝来インターの手前に安康天皇陵です。

安康天皇陵
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Dscn5237

安康天皇陵の周りを回り、蓬莱神社に寄ります。

蓬莱神社
Dscn5244

蓬莱山仏願寺、歯痛地蔵、伏見山西圓寺(読み たぶん さいえんじ)を通り、暗越奈良街道を垂仁天皇陵近くまで戻ると、宝来東バス停前に垂仁天皇陵陪塚い号 兵庫山古墳 があります。
表示は、「垂仁天皇陵飛地い号」とあります。
Dscn5260

その東を北に向かうと国道308号新道に出て、対面が喜光寺です。
本年5月落成の南大門が国道沿いに建っています。
10月31日には境内に会津八一の歌碑が建立されました。

喜光寺 南大門~本堂
Dscn5261南大門
Dscn5263本堂
Dscn5264

*喜光寺 国道歩道橋上から
Dscn5098

*喜光寺 由緒
Dscn5094*喜光寺 南大門
Dscn5095*喜光寺
Dscn5093

*喜光寺境内
 国道歩道橋上から
 会津八一歌碑 睡蓮鉢
Dscn5101
喜光寺境内
Dscn5277会津八一歌碑
インドボダイジュ
Dscn5269

会津八一歌碑
Dscn5270会津八一歌碑裏面
Dscn5275ひとりきて
かなしむてらの
しろかべに
汽車のひびきの
ゆきかへりつヽ

境内には石川郎女の万葉歌碑もあります。

万葉歌碑 20-4491 石川郎女 
Dscn5278_2歌碑裏面
Dscn5293大き海の
水底深く
思いつつ
裳引き平らしし
菅原の里

弁天堂
Dscn5281弁天堂内
Dscn5284

歌碑や仏像を熱心に見ていると、お寺の方から、「熱いお茶がありますよ」と声をかけていただきました。
写経道場建物に案内され、お茶をいただき、ちょうど昼食時だったので、厚情に甘え、法話室で弁当を食べさせていただきました。

菅原天満宮に参拝して、西大寺奥の院体性院に向かいます。
西大寺は、何回も訪ねているので、今回はパスです。
途中、西大寺の鎮守であった西大寺芝町の八幡神社に寄ります。
うっそうとした鎮守の森です。
本殿は、3間社流れ造りの素敵な建物でした。

*八幡神社 鳥居
Dscn5090*長い参道
Dscn5089本殿
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野上神社のところで左折し、道なりに進むと、鋳物師池跡、次いで、西大寺奥の院体性院です。

鋳物師池跡
Dscn5315

*西大寺奥の院 体性院
Dscn5075*叡尊五輪塔
Dscn5078*叡尊五輪塔
後方
 左 若草山
 右 御蓋山
Dscn5079

奈良市歴史の道に戻り、秋篠寺に向かいます。
途中、自転車に乗っては通りがたい狭い路が2箇所あります。

歴史の道 西大寺~秋篠寺
Dscn5321前方に秋篠寺南門
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秋篠寺南門手前の八所御霊神社で、八所御霊を巡って一講釈。

秋篠寺南門
Dscn5071八所御霊神社
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秋篠寺南門を入った左側に会津八一歌碑がひっそりと建っています。

*秋篠寺境内
Dscn5069*会津八一歌碑
Dscn5065あきしのの
みてらをいでて
かへりみる
いこまがたけに
ひはおちむとす

西大寺から秋篠寺に来るまで、生駒山が展望できるか注意しつつ来たのですが、家が立ち並び、生駒連山の展望できるところに気づきませんでした。
喜光寺前国道歩道橋に上や垂仁天皇陵辺りからは、生駒連山がきれいに展望できるのですが。

秋篠寺の西側に出て、秋篠町の家並みを少し迷いながらも奈良工業高校跡に出て、バス道を辿り、願心寺の案内板に従い三叉路を左にバス道を離れ、願心寺経由で、押熊町の八幡神社に着きました。

*押熊町の八幡神社 鳥居
Dscn3722*拝殿
Dscn3710*本殿
Dscn3714

八幡神社の東側に伝忍熊王墓があります。
忍熊王は、仲哀天皇皇子で、継母の神功皇后が三韓征伐から腹違いの弟(後の応神天皇)を連れて凱旋するときに、皇位を争い、滅ぼされた皇子です。
勝者である応神天皇を祀る八幡神社の傍らの小さな墓域です。

*伝忍熊王墓 遠望
Dscn3723伝忍熊王墓
Dscn5329*伝忍熊王墓
Dscn3719

平城ニュータウンに入り、押熊瓦窯跡、万葉の小道、石のカラト古墳を見学し、高の原駅に戻りました。

押熊瓦窯跡、石のカラト古墳については、過去記事参照してください。
2010年9月21日 (火) 押熊瓦窯跡
2010年9月21日 (火) ならやま 万葉の小径
2010年9月18日 (土) 石のカラト古墳

駅前の焼き鳥店で反省会。

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2010年12月11日 (土)

12月11日 明日香~橿原 古墳めぐり

越塚御門古墳見学の後、沼山古墳~小谷古墳~桝山古墳~新沢千塚古墳群を探訪しました。
越塚御門古墳見学記は別掲


より大きな地図で 101211飛鳥~新沢千塚古墳群~橿原神宮西口 を表示

牽牛子塚古墳・越塚御門古墳から山路越えで橿原市の白橿町に降り立ったところで、オートバイの男性に、「この路で牽牛子塚古墳にいけますか」と聞かれました。「牽牛子塚古墳の上に通じてますが、オートバイに乗っては無理でしょう」 と答えましたが、オートバイで登っていったのだろうか。

沼山古墳は何回か訪ねた古墳です。
沼山古墳説明板
Dscn5202沼山古墳石室内部
Dscn5205Dscn5203

小谷古墳は始めての探訪ですが、難なく見つかりました。
小谷古墳は、柵で囲われ内部を見ることができませんでした。

小谷古墳全景
Dscn5215

小谷古墳説明板
Dscn5207小谷古墳 柵で囲われ内部を見ることができません
Dscn5208小谷古墳
Dscn5214

近くにもうひとつ古墳があると聞いていたのですが、もうひとつの古墳(小谷南古墳)はわかりませんでした。
もうひとつの古墳を探して奥へ入っているうちに峠を越えて、前方に、畝傍山と鳥屋ミサンザイ古墳が見えてきました。
Dscn5216

桝山古墳に行くのに大回りしなければならないと思っていたので、意外な近道でした。

桝山古墳は前方後円墳の形として宮内庁によって第10代崇神天皇皇子倭彦命の身狭桃花鳥坂墓(むさのつきさかのはか)と治定されていますが、古墳は後円部にあたる部分で、辺90mの方墳です。
前方部の高まりは「夜鳴塚」と呼ばれているようですが、古墳かどうか不明だそうです。

倭彦命身狭桃花鳥坂墓(むさのつきさかのはか)
Dscn5220桝山古墳?(前方部の「夜鳴塚」かな?)
Dscn5223

橿原高校横から新沢千塚古墳群の南群に入ろうと思っていたのですが、進入路を見落とし県道に出てしまったので、北群づたいに千塚資料館に行きました。
資料館の古墳・遺跡地図で周辺の古墳・遺跡を確認。小谷古墳周辺にもいくつかの古墳跡が表示されていました。
千塚資料館で見学後、新沢千塚古墳群北群に分け入り、古墳群の中を北端に抜け、橿原神宮西口駅から帰りました。

新沢千塚古墳群説明板
Dscn5226新沢千塚古墳分布図
Dscn5225


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12月11日 越塚御門古墳 見学会

牽牛子塚古墳に隣接して新たな古墳が発掘されました。
明日香村大字越小字塚御門の地名から、越塚御門古墳と命名されました。
日本書紀などの記述から、牽牛子塚古墳は斉明天皇・間人皇女合葬陵、越塚御門古墳は斉明天皇の孫である大田皇女の墓であるとみられています。

見学会は、12月11,12日です。
見学会初日10時ごろに着きましたが、すでに長い列。

見学者の列
Dscn51661時間近く待ちました
Dscn5174牽牛子塚古墳
Dscn5178

越塚御門古墳
Dscn5176越塚御門古墳
Dscn5185越塚御門古墳
Dscn5189

越塚御門古墳 後方 牽牛子塚古墳
Dscn5195越塚御門古墳
Dscn5196

牽牛子塚古墳 牽牛子塚古墳の陰に越塚御門古墳
Dscn5200

参照
越塚御門古墳発見に先立つ発掘作業中の牽牛子塚古墳
2010年4月28日 (水) 「西飛鳥古墳群を行く」下見会

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2010年12月 8日 (水)

12月8日 喜光寺~羅城門跡~大安寺

天候がよいので、来週予定の散策会の下見を兼ねて、自転車で、秋篠寺~喜光寺~安康天皇陵~垂仁天皇陵を巡り、その後、秋篠川沿いに南下、平城京羅城門跡、東市跡を探訪、大安寺に周り、帰路、図書情報館に立ち寄りました。

→写真 ピカサウェブアルバム

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2010年12月 6日 (月)

12月5~6日 東京ディズニーリゾート

孫たちと東京ディズニーリゾートに行きました。

Dscn4985

初日はディズニーランド、日曜日で大混雑でした。
80分待ちのアトラクションにも挑戦。

クリスマスバージョンのパレード
Dscn5000

夜のパレード及び花火も見物し、連絡バスでホテルへ。

2日目はディズニーシーにしました。
ホテル泊り客のほとんどがディズニーシー行きです。
平日なのに、シーはかなり混んでいました。
数年前に、平日、訪れたときは空いていたのに。

夕闇迫るディズニーシー
Dscn5054

帰路の新幹線では、みんなぐっすり。

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2010年12月 4日 (土)

12月4日 養老の滝~関が原 不破関跡

大和路散策の会のバスツアーで、養老の滝~関が原、不破関跡を巡りました。

養老寺の宝物拝観を予約してあるので、養老に直行しました。
養老公園は、前日の風雨で紅葉はかなり散っていましたが、それでも各所にあざやかな紅葉が残っていました。
時々小雨ぱらつく天候でしたが、養老の滝へ歩き始めるころには晴れ渡ってきました。

養老の滝へ
Dscn4912晴れ渡った空に
映える紅葉
Dscn4940養老の滝
Dscn4926

養老の滝の水が酒となり、その酒を飲むと若返えるとの評判を聞き、元正天皇が行幸、飲浴され、「老いを養う若返る水」であると、西暦717年、元号を「養老」と改められたとか。

元正天皇行幸遺跡
Dscn4943元正太上天皇 万葉歌碑
Dscn4944
Dscn4945
ほととぎす なほも鳴かなむ もとつ人
かけつつもとな 吾(あ)を哭(ね)し泣くも
万葉集 40-4437 元正天皇

予約時刻に養老寺で宝物殿を開廟してもらい、十一面千手観音立像を拝観させていただきました。

養老公園には、歌碑や句碑がたくさんあります。

紅葉のなかに
Dscn4961北原白秋 歌碑
Dscn4959説明
Dscn4960

芭蕉の句碑もあるとのことなので、探したのですが、バスが出るまでの時間に追われ、見つけることができませんでした。

関が原の古戦場を車窓に眺め、不破関跡を訪ねました。
関守の跡には歌碑や句碑がいくつかありました。
判別できませんでしたが、不破関資料館で、そのうちのひとつが芭蕉句碑であるとわかりました。

不破関守跡
Dscn4965芭蕉句碑
Dscn4968 松風や
 薮も畠も
 不破の関

帰路、多賀サービスエリアでトイレ休憩、隣接の胡宮(このみや)神社(敏満寺跡)に立ち寄りました。
紅葉が素敵でした。

敏満寺跡説明
Dscn4984紅葉に彩られた
Dscn4978胡宮神社境内
Dscn4981


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