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2011年1月27日 (木)

1月27日 三輪~穴師~柳本 散策

なら歩楽歩楽会シニア8名で、三輪駅から柳本駅まで、あまり訪れるもののいない神社や古墳を探し求め、散策。
山の辺の道や上ツ道は何回か歩いていますが、一路外れると、未知の世界。
小雪ちらつくなか、迷いながらも、由緒深い神社や下調べしていなければ見過ごしてしまう古墳を訪れました。

散策コース
JR三輪駅~大直禰子神社~久延彦神社~神御前神社~富士神社・厳島神社(弁天社古墳)~茅原大墓古墳~国津神社~ホケノ山古墳~三輪山慶運寺(石棺仏、慶運寺裏古墳)~相撲神社~穴師坐兵主神社~渋谷向山古墳(景行天皇陵)~卑弥呼庵~行燈山古墳(崇神天皇陵)~黒塚古墳~JR柳本駅

より大きな地図で 20110127 三輪駅~茅原大墓古墳~穴師神社~柳本駅 を表示

毎年訪ねている大神神社参拝は省略し、大直禰子神社へ直行します。
Dscn5658大直禰子神社は「若宮さん」と呼ばれています。
祭神は、大物主神の子孫大直禰子命(大田田根子)です。
当社は、奈良時代に大神(おおみわ)寺、鎌倉時代に大御輪寺(だいごりんじ)と呼ばれた大神神社の神宮寺でしたが、明治の神仏分離で、本尊十一面観音を聖林寺に移譲し、神社に成りました。

大直禰子神社
Dscn5660社殿は寺社風の入母屋造です
Dscn5665社殿内部
Dscn5664

久延彦(くえひこ)神社に登ります。
Dscn5667久延彦神社は、学業の守護神、智恵の大神です。
大神神社の末社です。
祭神久延毘古命は、「古事記」の大国主命の国作り神話に見える案山子(かかし)だそうで、居ながらにして世の中の事をことごとくお知りになるという智恵の大神です。
合格祈願の絵馬がたくさん掛けられていました。

久延彦神社社殿横の展望台からの展望
Dscn5669

大美和の辻の直ぐ北から茅原に行く予定が、分岐道に気づかず、山の辺の道を玄賓庵近くまで進んでしまい、ようやくの分岐で茅原に向かいました。
茅原集落で現在場所がわからず、通りすがりの住民に、神御前神社、富士神社・厳島神社の所在を尋ねると、「神社名は知らないが、小さな神社ならこのちかくにある」と案内してもらえました。少し行き過ぎたところでした。

富士神社・厳島神社 二つの神社が合体した大神神社の境外末社
Dscn5681由緒
Dscn5682富士神社
祭神:木花咲耶姫命
厳島神社
祭神:市杵島姫命

社殿の裏側に、古墳の石室が露出しています。

弁天社古墳 古墳時代後期 円墳?
Dscn5674石室内
Dscn5675説明
Dscn5673

境内に
石仏
Dscn5680
Dscn5678
Dscn5679

神御前神社
大神神社境外摂社
祭神 倭迹迹日百襲姫命
Dscn5683本殿
三輪山に向いていない!?
Dscn5684由緒
Dscn5685

茅原集落の北端に茅原大墓古墳です。
茅原大墓古墳では、発掘調査中でした。

茅原大墓古墳
説明
Dscn5686東の道から
Dscn5687北側から
Dscn5691

茅原大墓古墳頂からの展望
Dscn5689

茅原大墓古墳頂からの展望
Dscn5690

箸墓古墳
Dscn5688

箸中の国津神社に向かいます。
途中、巻向川にカワセミがいました。

国津神社
Dscn5697拝殿
Dscn5693本殿
Dscn5696

小川光三氏が『大和の原像』で提唱した「太陽の道」上にある神社です。
祭神は、「記紀」神話による、素盞鳴尊が天照大神と天の安河を中にはさんで誓約をしたとき、天照大神の玉を物実として成り出た男神5柱で、素戔嗚尊が合祭されています。
当社は、巻向川の北岸に鎮座していますが、巻向川下流の芝の南岸には、素盞鳴尊の剣を物実としてうまれた奥津島比売、市杵島比売、多岐津比売の3女神を祭神とする九日神社の別称がある國津神社が鎮座しており、
古来より毎年8月28日には、大字箸中と芝が相集い、三輪山の麓に鎮座する檜原神社(祭神・天照大神)の大祭を執行しているとのことです。

太陽の道
小川光三氏が「大和の原像」で提唱
泊瀬山(天神山)~桧原神社~箸墓古墳~穴虫峠を東西に連ねるライン。東西に延ばすと、東に「伊勢の斎宮址」、西に「淡路島伊勢の森(伊勢久留麻神社)」がある。

国津神社の北東にホケノ山古墳があります。

ホケノ山古墳
Dscn5700前方部東斜面検出の埋葬施設
Dscn5701古墳頂からの展望
箸墓古墳後円部
手前は堂ノ後古墳
Dscn5702

近くの三輪山慶運寺境内には、6基前後の古墳時代後期の古墳があったそうです。
境内に、刳抜式の石棺の身に建治形と呼ばれる「弥勒菩薩」が刻まれている「石棺仏」があり、慶運寺の裏には、後世の開発によって墳丘が改変され、墳形は判らないが、南面する円墳と考えられる乱石積で構築した両袖式の横穴式石室があります。

石棺仏
Dscn5704石棺仏
Dscn5706

穴師坐兵主神社に急ぎます。
穴師坐兵主神社で遅れてきたOさんとようやく合流。

相撲発祥の地「カタヤケシ」
Dscn5711相撲神社
Dscn5718カタヤケシ由緒
Dscn5712

カタヤケシ 万葉歌碑
Dscn5721 巻向の桧原も未だ雲いねば
 小松が末ゆ淡雪流る
 柿本人磨 巻10~2314
 山本健吉揮毫

穴師坐兵主神社
Dscn5713拝殿
Dscn5715

穴師坐兵主神社境内 万葉歌碑
Dscn5717 あまくもに ちかくひかりて なるかみの
 みればかしこし みねばかなしも
 作者未詳 巻7~1369
 会津八一揮毫

小雪が降り出しました。
このあたりで昼食をとり、周辺探訪を計画していたのですが、
小雪舞い、寒さも厳しくなったので、
喫茶卑弥呼庵に直行することにしました。
三輪山も陰ってきました。

穴師(景行天皇陵東) 万葉歌碑
Dscn5722 三輪山を・・・
 額田王 巻1~17,18
 中河與一揮毫 

卑弥呼庵で、昼食をとらせてもらい、雪が止むまで、和風コーヒーでしばし懇談。

崇神天皇陵南濠堤
Dscn5723

崇神天皇陵の濠には、今日は、水鳥が少なかったですが、オシドリが泳いでいました。

黒塚古墳で時間調整し、
柳本駅から桜井経由で八木に出て、いつもの店で反省会。

ドアtoドアで、18千歩

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