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2011年2月の6件の記事

2011年2月25日 (金)

2月25日 菅原天満宮 おんだ祭

2月25日は、菅原天満宮の おんだ祭 です。
神社前には、数軒ですが屋台も出て、祭りを盛り上げています。

菅原天満宮
Dscn6029白梅 筆塚
Dscn6031紅梅
Dscn6032

13時から拝殿で神事が行われます。
神社に着いたときは、神事が終わるところでした。
境内には、4隅をササで囲まれた神田が準備され、その周りを観客が取り囲んでいます。
14時から田植え行事の始まりです。

宮司、采女
Dscn6034田主、牛の入場です
Dscn6035宮司 祝詞
Dscn6038

田主登場
狂言のように口上を述べて、
Dscn6040鍬で田を耕します
Dscn6041

牛が登場です
Dscn6042犂(すき、り)を引いて駆け回ります
Dscn6048牛役は子どもです

続いて
馬鍬(うまぐわ)で代かきします
Dscn6051
Dscn6053

牛退場後、
田主は、口上を述べたり、観客と掛け合いしながら、
田を均して、
肥料を撒きます
Dscn6060観客に向けて
Dscn6058宮司や采女にも
Dscn6063
もちろん、肥料は撒く振りです。

籾まきです
Dscn6065観客に向けて
Dscn6068籾と小豆が頭上に飛んできます

やがて
雑草が生えてきて
草抜きです
Dscn6069黒子が笹葉を置いて回ります


狂言劇はここまでで、
宮司、田主、牛役、采女、来賓が、苗に見立てた松葉を観客に配って回り、儀式は終わです。


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2011年2月17日 (木)

2月17日 若草台~西の京 散策

なら歩楽歩楽会7名で、若草台中央バス停から、富雄丸山古墳~追分梅林~矢田山子ども交流館~滝寺磨崖仏~登弥神社~六条山遺跡を巡り、今後10年近く見ることの出来なくなる薬師寺東塔を大池や秋篠川から眺め、西ノ京駅まで散策しました。 


より大きな地図で 20110217 学園前~富雄丸山古墳~西の京 を表示

学園前駅から1時間に1本のバスで若草台中央まで乗ります。
降りたところが、富雄丸山古墳の前です。
富雄丸山古墳の周りを周回しましたが、古墳標示はありませんでした。

富雄丸山古墳
4世紀後半、近畿地方でも最大級の円墳、直径86m。
古墳からは、碧玉製の腕飾、合子、琴柱形の石製品、銅製釧などが見つかっています。

Dscn5961滝寺磨崖仏から下りたところからの遠望
近くでは円墳とわかりにくかったが、遠くから見ると、円墳らしく見える

追分梅林
Dscn5938梅はまだ蕾

追分本陣村井家住宅
Dscn5939説明板
Dscn5940

雪の残る矢田山子どもの森の山路を散策し、子ども交流館で、早めの昼食。

峠池下池から大和民俗公園方面へ400mほどで滝寺磨崖仏への分岐です。
頭上に「←滝寺」標示
Dscn5943細い山路を下りていくと
滝寺磨崖仏覆堂
Dscn5952説明板
Dscn5944

滝寺磨崖仏
Dscn5946右下方3面
Dscn5947中央上部
Dscn5950

滝寺磨崖仏は、天平時代(8世紀頃)のものと推測され、我が国でも最も古い磨崖仏の一つです。
細粒室花崗片磨岩の岩肌に彫刻され、菩薩等を浮き彫りにした仏龕が五面配されています。
滝寺の草創沿革については詳かではありません。

急な山路を下りていくと、眼下に廃神社が現れます。
ウェブ情報などによると、戦後創設され10年ほど前に実体消失した新興宗教団体の神社だったそうです。

大和田町の集落を横切り、富雄川の登見橋を渡ると、登弥神社です。

登美神社
Dscn5963参道の途中まで、大和高田市
Dscn5962

拝殿
Dscn5970本殿
Dscn5967奈良市指定文化財
2月1日粥占い行事
Dscn5964

祭神は、
東本殿 高皇産霊神(たかみすみのかみ)
     誉田別命(ほんだわけのみこと)
西本殿 神皇産霊神(かみむすびのかみ)
     登美饒速日命(とみのにぎはやひのみこと)
     天児屋根命(あめのこやねのみこと)
左右の小宮には、摂社として天照大神(あまてらすおおみかみ)、豊受比賣神(とようけひめのかみ)など十七柱の神を合祀、併せて二十二柱の神々を奉斎しています。
この神社の神域は、ニギハヤヒの住居または墓所であった白庭山であるとの伝承があり、後の時代に、ニギハヤヒの子孫である登美連(とみのむらじ)が、ゆかりのこの地に先祖であるニギハヤヒ夫妻と併せて天神地祇を祀ったのが、当神社の創建であると伝えられています。
富雄川の西側にあるニギハヤヒを祀る矢田坐久志玉比古神社から分霊したとの説もあります。

弥生時代の竪穴住居跡六条山遺跡を見に、西の京高校に立ち寄りました。
遺跡は、校門を入ったところに保存されています。

六条山遺跡
Dscn5972昭和52年、西の京高等学校の建設に伴って発掘調査が行われました。
調査地の中心部はすでに何回かの土取工事によって破壊されていましたが、東斜面の標高97mラインで11棟の竪穴住居跡と方形の土坑2基が検出されました。西暦50年ごろから200年ごろまで、約150年続いた高地性集落だそうです。
第3号と第5号の住居跡を埋め戻して土を盛り、遺跡として保存されています。

大池の西岸から薬師寺を展望、薬師寺の南側から秋篠川沿いに出て、西ノ京駅に戻りました。

大池からの展望
Dscn5980

大池から薬師寺及び若草山を望む
Dscn5982
Dscn5984大池には多くの水鳥が泳いでいました
Dscn5985

薬師寺南大門
Dscn5989東塔 南大門前から
Dscn5991秋篠川堤防から 
Dscn5992

雨予報でしたが、散策中は晴天。
薬師寺近くで曇りだし、散策終了後、雨がポツリポツリと降り始めました。
ラッキーでした。

ドアtoドアで、21千歩

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2011年2月14日 (月)

2月14日 巻向~桜井

飛鳥里山クラブ歴史サークル2月例会です。
参加46名。
巻向駅から、箸墓古墳~ホケノ山古墳~茅原大墓古墳~富士神社・厳島神社~神御前神社~大美和の杜~磯城瑞籬宮跡伝承地(志貴御県坐神社)~金屋の石仏~海石榴市観音堂~磯城島金刺宮跡伝承地~茶臼山古墳を巡り、桜井駅まで散策しました。
ホケノ山古墳~大美和の杜は、先月、なら歩楽歩楽会で散策したコースとほぼ同じです。
1月27日 三輪~穴師~柳本 散策

巻向駅ホーム北端で、豊富な図入り資料を基に、纏向遺跡の説明を受けます。
昨年の発掘場所は埋め戻され、今年は発掘されておらず、エンドウなど野菜が植えられていました。


箸墓古墳
Hasihaka

箸墓古墳北西の大池の水は抜かれており、陪冢が姿を現していました。
Dscn5878

陪冢と箸墓古墳後円部頂を結ぶ線は、東西軸に対し南30度です。
写真家の小川光三さんは、陪冢を通して冬至の日の出の写真を撮ろうとして、冬至の朝日が後円部頂から出てきたので、このことに気づいたと著書「増補 大和の原像」に記しています。

箸墓古墳陪冢  左後方 巻向山、三輪山
Dscn5879

左から 穴師山、巻向山、三輪山、箸墓古墳
Dscn5880

正面 穴師山
Dscn5882

箸墓古墳の中軸線は正確に穴師山を指しており、小川光三「大和の原像」によると、この山が、古代、信仰の山であった弓月岳だそうです。

(作成中です)


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2011年2月11日 (金)

2月11日 砂かけ祭り

昨夜から雪。

Dscn5839

午後から降り止む予報。
孫を連れ、広瀬神社の砂かけ祭りを見に行きました。
枝に積もった雪を揺り落としたり雪遊びしながら、JR平城山駅へ。
かろうじて予定の電車に間に合いました。
雪に覆われ一面真っ白な景色が車窓に広がります。
法隆寺駅から富雄川沿いに広瀬神社まで歩きました。
雪は小降りとなり、神社に着くころには、予報どおり、止みました。

拝殿では、太鼓が奉納されていました。

Dscn5846Dscn5851

14時20分過ぎから砂かけ行事が始まりました。

田主が神田周りに鋤を入れ、
Dscn5854一周した後、
Dscn5855砂かけの始まりです
Dscn5856

神田の外にも出てきて、砂を撒きあげます
Dscn5860

砂をかけ返したり、逃げ回ったり
Dscn5861

孫は、最前列で張り切っていたのですが、砂をまともにかけられ、憮然として「帰る」と言い出し、
祭りはまだまだ続くのですが、
早々に引き上げることになりました。

城山古墳、大塚山古墳を見ながら、池部駅に出て、帰りました。

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2011年2月 3日 (木)

2月3日 手向山八幡宮~二月堂 節分行事

2月3日 節分です。
各地の寺社で節分行事が行われます。
手向山八幡宮と東大寺二月堂の節分行事を見に行きました。

手向山八幡宮の節分行事は、お田植え祭です。
11時、御幣をつけた笹竹、巫子、牛童、翁面の田主、神官白丁をつけた地謡の人々が境内を一周し拝殿に上ります。
拝殿を稲田とみなし、田主が御幣を畦に立てお田植の儀を始めます。
田主がクワで苗代の土を耕し、牛がスキを引き回し、籾まきが行われます。
牛は、暴れることなく、拝殿内を「もぅ~」と鳴きながら周回します。

境内を一周し拝殿に上ります
Dscn5751お田植の儀の始まりです
Dscn5754クワで4方を耕します
Dscn5755

牛がスキを引き回します
Dscn5760ときどき「もぅ~」と鳴きます
Dscn5761牛面
Dscn5782

田を均し
Dscn5763 ?
Dscn5767籾まきです
Dscn5768

田主の豊年祈願、巫女さんの玉串奉奠など一連の神事の後、福豆まきです。

巫女さんの玉串奉奠
Dscn5773福豆まき
牛童と巫女さんは、小学生!!
Dscn5777地元の小学校の子どもたちで、お田植祭なので、全員苗字が「~田さん」か「田~さん」とのこと。


東大寺二月堂の節分行事は、
10時 古札揆遣 還宮(げんぐう)
14時 豆まき
18時 星供養 です。

14時の豆まきまで時間があるので、東大寺境内を散策。
東大寺境内にも、ほとんど訪れたことのないところ、未知なところが多々あります(別途記載)。

13時半ごろ、二月堂前に戻ってくると、舞台の下は大勢の人で埋まっており、法華堂にかけて長い行列。
撒かれた豆を取りたければ舞台の下に割り込み、豆と鈴を手渡しで受け取るのなら列に並びます。
舞台の下への入場が制限されたので、列に並び、14時から豆と鈴を手渡しで受け取りました。

二月堂節分星祭
Dscn581011:48 二月堂
閑散としていましたが、
Dscn578514:11 二月堂
豆まき
Dscn5813

舞台からの豆まきには、炒りダイズのほか、ラッカセイやアンパンなどもあり、豆まきの後も、受け取れなかった人に豆等を配っていたので、ほぼ全員が豆等を受け取れたようです。

夕方からも、興福寺、春日大社などでも節分行事が行われますが、夕方からの行事は来年以降にまわし、引き上げました。

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2月3日 二月堂周辺

手向山八幡宮のお田植え祭の後、二月堂の豆まきまで時間があるので、二月堂周辺、さらに、塔跡を探訪しました。

手向け山八幡は、東大寺の鎮守ですが、
二月堂には、興成神社、飯道神社及び遠敷神社の3つの鎮守神社があります。

興成神社は、二月堂正面直ぐ下、良弁杉の横に神社です。
飯道神社は、二月堂南東に、遠敷神社は、二月堂北東にあります。

飯道神社
Dscn5794本社は、滋賀県甲賀の飯道山(はんどうさん)に鎮座する神社です。東大寺大仏殿の修覆に際して信楽杣産の木材が用いられたことなどから、二月堂鎮守に招かれました。

今日は、10時頃からこの神社の上の壇で還宮(げんぐう)(去年お祀りしたお札やお守り等を火にあげる儀式)が行われ、古いお札の山に点火されたそうです。
12時ごろ通りかかると、神社の裏で、古いお札などが燃やされていました。

遠敷神社
Dscn5792お水取りでは、小浜の若狭彦神社の遠敷明神(彦火火出見命)が二月堂観音に遠敷川の神水を送ります。遠敷明神が常駐しており、お水取りに遅れることはないでしょう。

遠敷神社の近くに観音堂、飯道神社南東の上方に不動堂があります。

観音堂
Dscn5791

不動堂
Dscn5786

不動堂の傍らから、裏山に入っていくと、西国33観音霊場巡りです。
1番から33番まで、番外の観音もいくつかあって、観音堂の裏(北側)に出ます。

二月堂裏山の西国33霊場巡り
1番 那智山青岸渡寺
Dscn5800西国33霊場巡り
Dscn5799

大和国
6番 壺阪山南法華寺
Dscn57987番 岡寺
8番 長谷寺
Dscn57959番 南円堂
Dscn5797

33番 華厳寺
Dscn5788


二月堂の斜め前に三昧堂(さんまいどう、四月堂)があります。
四月堂が開いていました。
四月堂の本尊千手観音、脇侍普賢菩薩像をはじめて拝観しました。

四月堂
Dscn5784_2

四月堂の隣が、糊こぼしの椿が咲く開山堂です。

行基堂、俊乗堂、鐘楼、念仏堂も、久しぶりに見に行きました。

行基堂
Dscn5801俊乗堂
Dscn5802

鐘楼
Dscn5803
Dscn5804

塔跡を探しに行きました。
東塔跡は見つかりましたが、西塔跡は塀の中なのか確認できませんでした。

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