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2011年2月14日 (月)

2月14日 巻向~桜井

飛鳥里山クラブ歴史サークル2月例会です。
参加46名。
巻向駅から、箸墓古墳~ホケノ山古墳~茅原大墓古墳~富士神社・厳島神社~神御前神社~大美和の杜~磯城瑞籬宮跡伝承地(志貴御県坐神社)~金屋の石仏~海石榴市観音堂~磯城島金刺宮跡伝承地~茶臼山古墳を巡り、桜井駅まで散策しました。
ホケノ山古墳~大美和の杜は、先月、なら歩楽歩楽会で散策したコースとほぼ同じです。
1月27日 三輪~穴師~柳本 散策

巻向駅ホーム北端で、豊富な図入り資料を基に、纏向遺跡の説明を受けます。
昨年の発掘場所は埋め戻され、今年は発掘されておらず、エンドウなど野菜が植えられていました。


箸墓古墳
Hasihaka

箸墓古墳北西の大池の水は抜かれており、陪冢が姿を現していました。
Dscn5878

陪冢と箸墓古墳後円部頂を結ぶ線は、東西軸に対し南30度です。
写真家の小川光三さんは、陪冢を通して冬至の日の出の写真を撮ろうとして、冬至の朝日が後円部頂から出てきたので、このことに気づいたと著書「増補 大和の原像」に記しています。

箸墓古墳陪冢  左後方 巻向山、三輪山
Dscn5879

左から 穴師山、巻向山、三輪山、箸墓古墳
Dscn5880

正面 穴師山
Dscn5882

箸墓古墳の中軸線は正確に穴師山を指しており、小川光三「大和の原像」によると、この山が、古代、信仰の山であった弓月岳だそうです。

(作成中です)


ホケノ山古墳
説明
Dscn5887

茅原大墓古墳
Dscn5890先月散策時より、発掘調査は進んでいるようでした。

神御前神社
Dscn5894神社は、三輪山のほぼ真東にあるが、鳥居および本殿は、三輪山方向に向いておらず、右背後の峯を指している。何か理由があるのだろうか?

神御前神社~富士神社・厳島神社~茅原大墓古墳から北上する道こそ、古代の山の辺の道だとする説があります。この道は、景行天皇陵に治定されている渋谷向山古墳や崇神天皇陵に治定されている行灯山古墳の下手をとおり、これらの陵の陵名(山の辺の道の上)に適合しています。

天気予報どおり、雪が降り出してきました。

大美和の杜
Dscn5896神田
Dscn5895

先月の散策で曲がりそこなったところ
Dscn5900


万葉歌碑
Dscn5901味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の
山の際に い隠るまで・・・
三輪山を しかも隠すか 雲だにも
心あらなも 隠さふべしや
巻1-17・18

大美和の杜にある歌碑・句碑
Dscn5905阿波野青畝句碑
Dscn5907月の山
大国主の
命かな

大神神社境内
「折口信夫」(釈迢空)の歌碑
Dscn5912やすらなる
いきをつきたり
おほ倭
山青がきに
風わたる見ゆ

磯城瑞籬宮跡伝承地(志貴御県坐神社)
三輪山の南麓を北西に初瀬川が流れ、北麓を南西に巻向川が流れ、三輪山の西方で合流します。
三輪山麓の2つの川で囲まれた地域「瑞垣」は、古代、とくに神聖な場所と看做されていたようです。
この瑞垣の要所に、記紀によると、崇神天皇は磯城瑞籬宮を築きました。
志貴御県坐神社所在地が、磯城瑞籬宮跡伝承地とされています。

金屋の石仏
Dscn5918

海石榴市観音堂
Dscn5926
Dscn5921
Dscn5924

磯城島金刺宮跡伝承地
Dscn5931万葉歌碑
Dscn5928磯城島の
大和の国は
言霊の
さきはふ国ぞ
まさきくありこそ

柿本人麻呂万葉歌 巻13-3254は、
磯城島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ ま幸くありこそ

万葉歌碑
Dscn5927泊瀬川 早み早瀬を むすび上げて
飽かずや妹と 問ひし君はも
作者不明 巻11-2706

茶臼山古墳
Dscn5932
Dscn5933

桜井駅到着
Dscn5934

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