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2011年3月 6日 (日)

3月6日 飛鳥~御所 散策

なら歩楽歩楽会で、飛鳥から御所まで、蕗の薹を求めて、散策しました。
日曜日なので、平日なら参加できないメンバーの参加もあって、久しぶりに2桁11名参加でした。

散策コース
飛鳥駅~岩屋山古墳~牽牛子塚古墳・越塚御門古墳~真弓鑵子塚古墳~乾城古墳、与楽鑵子塚古墳~光雲寺~掖上鑵子塚古墳~琴弾原日本武尊白鳥陵~巨勢山古墳群条池支群~御所駅

より大きな地図で 20110306飛鳥~御所 を表示

牽牛子塚古墳周辺の雑木や笹は伐採され、遠くからでも古墳が見通せます。
越塚御門古墳は、埋め戻されており、牽牛子塚古墳も従前の状態に戻されていました。

牽牛子塚古墳遠望
Dscn6093牽牛子塚古墳
Dscn60942010年12月11日 (土) 越塚御門古墳見学会

真弓鑵子塚古墳は、私有地内にあり、現在は立ち入ることが出来ません。
参照
2007年の発掘調査前は、玄室内にも入ることが出来ました。
真弓鑵子塚古墳写真(2007年4月27日撮影)

乾城(カンジョ)古墳は、北側の土砂が崩落しており、玄室内へは、崩落危険として立ち入り禁止となっていました。
与楽鑵子塚古墳は、発掘調査中なのか、シートで覆われていました。

乾城(カンジョ)古墳
Dscn6095与楽鑵子塚古墳遠望
Dscn6096カンジョ古墳内部写真
2007年10月 6日 (土) 市尾~飛鳥 散策

越智居館跡と思われるところを通り、天津石戸別(あまついわとわけ)神社に立ち寄り、光雲寺で昼食休憩です。
天津石戸別神社は、古来は「九頭(くず)神社」と称し、「越智氏系図」によると、元暦二年(1185年)越智氏の祖、親家が戦場守護神として祀ったとされている越智氏発祥の地です。
祭神は、天手力男命(あまノたぢからおノみこと)。拝殿はあるが、本殿はなく、板石を楯状に巡らした玉垣の中に御神体の樹木が生い茂っています。

天津石戸別神社
Dscn6098御神体
Dscn6101Web「奈良観光 天津石戸別神社」には、榊とあるが、榊の木ではないみたいだった

光雲寺は、1346年(興国7年)越智邦澄が創建した越智氏の菩提寺です。
越智氏の没落後一時寺運衰えましたが、1680年代(天和年中)中興開山鉄牛が来住され、越智氏の石碑八基を改葬して復興に努め、1698年(元禄11年)天湫による再興以後「光雲寺」と称しています。

光雲寺門前の「厄除杉」
Dscn6102鐘楼門
Dscn6103

光雲寺裏山を登れば、宮内庁治定の斉明天皇陵の裏手に出ますが、今回は省略して、曽我川沿いに掖上に向かいます。

掖上鑵子塚古墳
Dscn6111本日3基目の鑵子塚古墳です。
鑵子とは、湯釜・茶釜のことで、鑵子塚古墳とは、玄室が茶釜を逆さまにした形状の古墳を指します。

秋津遺跡を横切り、宮山古墳経由で宮戸橋バス停に出る予定でしたが、琴弾原日本武尊白鳥陵を訪れたことのないメンバーがいたので、また、前回訪問時に白鳥陵周辺にも蕗の花が咲いていたので、コース変更し、白鳥陵に立ち寄り、白鳥陵から條ウル神古墳、巨勢山古墳群条池支群と巡りました。
前回訪問時に蕗の花が咲いていた場所に、蕗の薹がたくさん芽生えていました。

蕗の薹 大収穫
Dscn6117

道路工事中で通行止め。
あぜ道を通り、みやす塚古墳の近くに出ました。
雨が降り出してきました。
1時間に1本の宮戸橋バス停のバスが出た時刻です。
雨の中、バス停でバスを待つよりはと、御所駅まで歩くことにしました。
10Km弱の散策予定が12Kmほどの散策となりました。

御所駅近くのうどん屋で反省会
ドアtoドアで19千歩

御所周辺の散策マップ
グーグルマップ 御所~葛、市尾 2009/3 2010/3
グーグルマップの散策コースから、該当ブログ記事にリンクしています

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