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2012年2月17日 (金)

2月17日 入鹿神社、蘇我神社~多神社

飛鳥里山クラブ歴史サークルで、入鹿神社から多神社まで藤原京周辺の神社を探訪しました。


より大きな地図で 2012年2月17日 入鹿神社~多神社 を表示

小綱町(しょうこちょう)の入鹿神社は、一般的には逆臣とされる蘇我入鹿を祀る全国唯一の神社です。
入鹿を大切に守る小綱町には、ニワトリの合図で入鹿が首をはねられたので「ニワトリを飼わなかった」とか、「鎌足を祀る多武峰へは参らない」とか鎌足の母の出生地の明日香村小原とは「縁組をしない」など、入鹿びいきの伝説が残っているとのこと。

入鹿神社
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入鹿神社境内に大日堂があります。
明治の廃仏毀釈により廃絶した普賢寺の本堂だった建物で、今は、南側にある正蓮寺管轄です。
文明10年(1478 室町中期)の墨書のある棟札があり、国の重要文化財です。
内部も見学させていただきました。
大日堂内部は、7月15日の祭り以外は公開されていませんでしたが、昨年保存会が設立され、Eメールで事前申し込みすれば、見学できるようになっています。
→正蓮寺大日堂・入鹿神社ほーむぺーじ http://dainichido.net/

正連寺 大日堂
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地黄町(じおちょう)の人麿神社は、万葉歌人柿本人麻呂を祀っています。
この神社では、健康と五穀豊穣を願う「地黄のすす付け祭り(5月4日)」が有名ですが、子供が少なくなったためか去年は行われなかったそうです。
なお、地名地黄町の由来は、この辺りで薬草「地黄」が栽培されていたからだそうです。

人麿神社
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万葉歌碑
Dscn8736 秋山の
 黄葉(もみじ)を茂み 迷ひぬる
 妹を求めむ
 山路知らずも


曽我町には、蘇我氏の祖神を祀る宗我坐宗我都比古神社があります。
「五社神社記」によると「推古天皇の御宇に当地を拠点とする蘇我馬子が蘇我氏の氏祖である蘇我石川宿祢夫妻を祀った」ことを起源とします。また、社伝によると「持統天皇が、蘇我本宗家滅亡を哀れんで、蘇我倉石川麻呂の次男徳永内供に紀氏を継がしめ、その子永末に祖神奉崇のため土地を賜り、社務と耕作を行わしめた」のに始まるといわれています。

宗我坐宗我都比古神社(そがにいますそがつひこじんじゃ)
Dscn8746本殿
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境内
サンシュユ
Dscn8748ウメ
Dscn8754


中曽司町のはずれ、曽我川右岸に南面して磐余神社が鎮座します。
創祀は古代までさかのぼり、そもそもは狭野火火見彦命を祭神としていたそうです。
明治維新前は磐余大明神といわれていましたが、明治12年、神倭磐余比古命を祭神としました。

磐余神社
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万葉歌碑
Dscn8760 真菅よし
 宗我の河原に 鳴く千鳥
 真無しわが背子
 わが恋ふらくは


橿原市飯高町には、同じ“子部”を称する神社が東西約100mほど離れて鎮座しています。
両社とも、古代氏族・小子部氏(チイサコベ)に係わる神社で、通常は、東側にある神社を以て式内・子部神社としています。
多神社(式内・多坐彌志理都比古神社)の境外摂社です。

子部(こべ)神社
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Dscn8777

子部神社に隣接して吉楽寺瑞花院があります。
昭和47年(1972)に半解体修理がなされた際に見つかった嘉吉年間のヘラ書き落書き瓦を見せてもらいました。

吉楽寺 瑞花院(きちらくじ ずいけいん)
Dscn8786ヒイラギモチ(別名シナヒイラギ)
モチノキ科
Dscn8785

本堂
Dscn8782嘉吉年間ヘラ書き瓦
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橿原市大垣町の屋就(やつぎ)神社は、延喜式神名帳に、『大和国十市郡 屋就神命神社』とある式内社で、今は、多坐彌志理都比古神社(多神社)の境外摂社となっています。
当社には幾つかの別称があり、多神宮注進状(1149)では“日月神社”・“(多神社の)若宮”、和州五郡神社神名帳大略注解(1446)では“(多神社の)別宮”、大和志(1734)では“八剣(やつるぎ)”と称しているそうです。

屋就(やつぎ)神社
Dscn8794矢継ぎの森のはなし
「むかし聖徳太子が、どこか自分の住むのに適した所はないものかとおおせられて、南から西北の方向を向き、「あの方面がよいように思われるので、これから矢を射るから、わたしはその落ちたところに行こう」と申されました。そして矢を放たれると今の矢継ぎの森に落ちました。
そこで家来がその事を申し上げますと、太子はまだ距離が近いからとおおせられて、再び矢を放たれると、現在の法隆寺のところに落ちました。いよいよこれでよいとて、永住の地と定められました。
矢継ぎの森にはいま「矢継ぎさん」(屋就)の祠があります。」
http://www.town.tawaramoto.nara.jp/03_sightseeing/story/legend_04.html


屋就川を越えると、田原本町です。
飛鳥川右岸に多坐弥志理都比古神社(多神社)が鎮座します。
当地は多氏の拠点であり、多氏の祖神である神八井耳命とその父(倭磐余彦尊(神武天皇))、弟(神沼河耳命(綏靖天皇))、祖母(玉依姫命)を祀っています。
古事記編纂者の太安万侶も神八井耳命とともに第2殿に祀られているそうです。
周辺からは、弥生土器、木器、銅剣などが出土しています。
多神社資料館で、多遺跡の出土品を見せてもらいました。

多坐弥志理都比古(おおにいますみしりつひこ)神社
Dscn8795本殿
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近くに、多神社摂社の皇子神命神社、小杜神社、姫皇子命神社があります。
小杜神社の祭神は、古事記編纂者の太安万侶です。

小杜(こもり)神社
Dscn8800

皇子神命神社
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姫皇子命神社
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Dscn8810

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